竹田近江(読み)たけだおうみ

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

竹田近江
たけだおうみ

江戸中期に竹田の機捩戯場(からくりしばい)とよばれて名を馳(は)せた竹田座の座本で、4世まで続いた。初世の清房(?―1704)は阿波(あわ)の出身。江戸に住したときに子供の砂遊びにヒントを得て砂時計をくふうしたのがからくり製作の初めと伝え、京都に移って唐操偶人(からくりにんぎょう)をつくり宮中に献上、1658年(万治1)竹田出雲(いずも)を受領したが、翌年改めて近江を再受領した。1662年(寛文2)に大坂・道頓堀(どうとんぼり)に機捩戯場の座をおこして名声を得た。初代近江は日月星辰(せいしん)の動きまで示す万年時計も製作したほど機械学に長(た)け、この技術で人目を驚かせ楽しませる興行を行ったわけであるが、先進を誇ったオランダ人たちをも驚嘆させたという。2世の清孝(1649―1729)は、からくりと子供狂言を交互に上演する番組立てを開発して、竹田戯場の新機軸をつくった。3世は清英(?―1742)。江戸や京都でも興行を打った。没後は弟の平助が竹田芝居を始め大坂興行界の実権を握ったが、近江を受領しなかった。4世は清一。しかし、竹田座は座運も凋落(ちょうらく)し1768年(明和5)に廃座した。

[西角井正大]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の竹田近江の言及

【からくり】より

…日本の機巧術が大きく発展するのは江戸時代のことで,日本の細工師たちはヨーロッパから渡来した機械時計にぜんまい,歯車,カム,クランクそして制御装置を目にし,これをもとに和時計をつくり,この時計技術を下敷きとして,からくりの夢を実現させた。竹田近江が考案した〈竹田からくり〉に代表される仕掛けものの人形芝居(竹田座)が盛況をみた江戸時代中期には,いっぽうで名古屋を中心に祭礼の〈屋台からくり〉が技術の粋をきそい,その遺品は今日では高山祭の〈竜神台〉や〈布袋(ほてい)台〉などの〈離れからくり〉にみることができる。いっぽう井原西鶴が〈茶をはこぶ人形の車はたらきて〉とよんで驚いた〈茶運(ちやはこび)人形〉に代表されるからくり人形も,江戸時代中期から精巧なものがつくられ,富裕な人々の玩具としてもてはやされた。…

【竹田座】より

…大坂でからくりを上演した芝居。1662年(寛文2)に初世竹田近江(おうみ)が大坂の道頓堀に創設した芝居小屋で,1768年(明和5)まで存続した。初めは道頓堀太左衛門橋南詰東入る立慶町にあったが,1733年(享保18)には類焼によって東隣へ移り,63年(宝暦13)には道頓堀岡側へ移転し,小屋自体は明治までつづいた。…

※「竹田近江」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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