那波郡(読み)なはぐん

日本歴史地名大系 「那波郡」の解説

那波郡
なはぐん

郡名を那和・名波などの文字を使用しているが、「和名抄」諸本には訓を欠く。「延喜式」神名帳には「ナハ」、「拾芥抄」にも「ナハ」と訓を付す。現在の県中央南部に位置し、広瀬ひろせ(旧利根川)からす川とに狭まれ、現佐波さわ玉村たまむら町、前橋市南東部から現伊勢崎市にわたる地域である。利根川が郡の中央から東折して南北地域に分けている。東は佐位さい郡、南は緑野みどの郡および武蔵国、西は群馬郡、北は勢多せた郡と接している。古代には北部を東山道が抜けていた。「和名抄」に朝倉あさくら鞘田さやた田後たしり佐味さみ委文しどり池田いけた韮束にらつかの七郷を載せる。延暦一五年(七九六)八月に那波郡の火雷ほのいかずち神が、山田郡賀茂かも美和みわ両神とともに官社に列せられている(日本後紀)。火雷神社は式内社で「上野国神名帳」鎮守一二社に「従一位火雷大明神」がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報