日本歴史地名大系 「玉村御厨」の解説
玉村御厨
たまむらのみくりや
範域は現玉村町全域に及んだと考えられ、中世文書にみえる北玉村は現
在地には玉村氏がいた。「吾妻鏡」元久二年(一二〇五)六月二二日条には安達景盛の家人的存在として「玉村太郎」がみられ、「蒙古襲来絵詞」では安達泰盛の家人として玉村馬太郎泰清、安達盛宗輩下に玉村三郎盛清が確認される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
範域は現玉村町全域に及んだと考えられ、中世文書にみえる北玉村は現
在地には玉村氏がいた。「吾妻鏡」元久二年(一二〇五)六月二二日条には安達景盛の家人的存在として「玉村太郎」がみられ、「蒙古襲来絵詞」では安達泰盛の家人として玉村馬太郎泰清、安達盛宗輩下に玉村三郎盛清が確認される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...