玉村御厨(読み)たまむらのみくりや

日本歴史地名大系 「玉村御厨」の解説

玉村御厨
たまむらのみくりや

範域は現玉村町全域に及んだと考えられ、中世文書にみえる北玉村は現上福島かみふくじま樋越ひごしに比定され、ほかに上之手かみのて角淵つのぶち斎田さいだ福島ふくしま南玉なんぎよく飯島いいじま(現上飯島)茂木もぎ(現上茂木・下茂木)などの地名がみえる。建久三年(一一九二)八月の伊勢大神宮神主請文写(神宮雑書)に「玉村御厨内 給主同宮一禰宜成長 件御厨去長寛年中建立国司奉免」とある。長寛年間(一一六三―六五)に国免の御厨として公認され、給主は内宮一禰宜荒木田成長であった。供祭物は上分布三〇端。年未詳(建久頃と推定)書状断簡写(神宮文庫蔵)では、「外宮料」の御厨としてあげられ、給主は内宮一禰宜であるが、内宮・外宮の諸費用がかけられていた。「神鳳鈔」には「内宮布三十 百廿五町玉村御厨」とある。また玉村保ともよばれ、「勘仲記」弘安一〇年(一二八七)七月一六日条では「玉村保事、任大蔵卿申旨、募三千年土貢万疋可沙汰進之由、可仰之由、有勅定」とみえる。

在地には玉村氏がいた。「吾妻鏡」元久二年(一二〇五)六月二二日条には安達景盛家人的存在として「玉村太郎」がみられ、「蒙古襲来絵詞」では安達泰盛の家人として玉村馬太郎泰清、安達盛宗輩下に玉村三郎盛清が確認される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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