日本歴史地名大系 「那紀郷」の解説 那紀郷なきごう 京都府:山城国久世郡那紀郷「和名抄」高山寺本は「奈」と訓ずる。天平一三年(七四一)六月二六日付の東大寺奴婢帳(東南院文書)に「那紀里」がみえ、戸主水尾公真熊戸口所貫として一一人が書き上げられている。当郷には皇室の園が設けられていた。「延喜式」(内膳司)に「川船一艘、長三丈、在与等津、右漕奈良、奈癸等園供御雑菜」とあり、続けて記す「園地卅九町五段二百歩」のうちに「奈癸園五町五段二百歩」がある。与等(よど)(淀)津と舟で結ばれているので、巨椋(おぐら)池に面した地であったろう。「賀茂注進雑記」に収める文治二年(一一八六)九月五日付源頼朝下文は、賀茂別雷(かもわけいかずち)社領六ヵ郷に対する武士の狼藉停止を命じているが、その一に奈木郷がある。 那紀郷なきごう 岡山県:備前国上道郡那紀郷「和名抄」東急本は「那紀」と記し、高山寺本は「那」と記して「奈岐」の訓を付す。諸説とも郷域は明らかでないとしながらも、吉井川西岸部の現岡山市に含まれる近世の吉井(よしい)・一日市(ひといち)・西祖(せいそ)各村を中心とする地域かとする(日本地理志料・岡山県通史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by