上道郡(読み)じようどうぐん

日本歴史地名大系 「上道郡」の解説

上道郡
じようどうぐん

「和名抄」東急本(国郡部)に「加无豆美知」、刊本に「加無豆美知」の訓がある。近代の訓は「ジヤウダウ」(内務省地理局編纂「地名索引」)。なお、昭和二八年(一九五三)成立の上道町(同四六年岡山市に編入)の読みは「ジョウトウ」であった。

「和名抄」は宇治(うじ)・幡多(はた)・可知(かち)・上道(かみつみち)・財田(たからだ)・居都(こづ)・日下(くさかべ)・那紀(なき)・豆田(まめだ)の九郷をあげており、令制の区分では中郡にあたる。「続日本紀」天平神護二年(七六六)五月二三日条に、当郡に属していた物理(もとろい)・肩背(かたせ)・沙石(さいし)の三郷を藤野(ふじの)郡(のちの和気郡)に隷せしめたとあり、それまでは一二郷からなる上郡であった。式内社としては四座からなる大神(おおみわ)神社がある。東は吉井川を境に邑久(おく)郡、北は東から磐梨(いわなし)郡・赤坂(あかさか)郡、西は御野(みの)郡、南は海に面する。現在の赤磐(あかいわ)郡瀬戸(せと)町の一部と、岡山市の吉井川西岸から旭川東岸に至る南部の沖積平野を中心とした地域で、古代吉備の中心地域の一つであり、多くの遺跡などが分布する。郡域内の主要遺跡について略記すると次のとおりである。

百間川(ひやつけんがわ)遺跡群(岡山市)は縄文中期から近世に至る複合遺跡であるが、とくに弥生時代については豊富で、全期間にわたって竪穴住居跡・掘立柱建物・土壙墓・溝・井戸・水田跡などが検出され、祭祀的遺物・装身具・農工具・土器なども大量に出土している。雄町(おまち)遺跡(岡山市)も複合遺跡であるが、弥生前・中期の墓地、同中期の高床倉庫跡や多数の木杭を打込んだ井堰が検出され、また墓域と居住区を用水路によって区別するなど、注目すべきことが多い。このような弥生時代の目覚ましい展開を基礎に、古墳時代になると多くの注目すべき古墳が営造される。

浦間茶臼山(うらまちやうすやま)古墳(岡山市)は全長約一三〇メートルの三段築成の前方後円墳であるが、前方部が撥形に開き、特殊器台形埴輪片が認められることから吉備最古の古墳であることは確実で、しかもその墳形と規模が大和の最古の古墳である箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)の二分の一の設計企画をもつことも明らかにされている。同古墳の規模は同時期の吉備ばかりでなく近畿以外でも最大級であり、古墳時代開始期の吉備と大和の関係を考えるうえで重要な位置を占める。車塚(くるまづか)古墳(岡山市)は丘陵尾根の頂端に築造された全長約四八メートルの前方後方墳であるが、前方部を撥形に開く古形をもち、後方部の竪穴式石室からは一三面の中国鏡(うち一一面は三角縁神獣鏡で九面が同笵鏡)や鉄製武器を多数出土した。埴輪はなく四世紀代の古墳とみられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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