日本大百科全書(ニッポニカ) 「那賀川(旧町名)」の意味・わかりやすい解説
那賀川(旧町名)
なかがわ
徳島県東部、那賀郡にあった旧町名(那賀川町(ちょう))。現在は阿南市の北東部を占める地域。旧那賀川町は、1956年(昭和31)平島(ひらじま)、今津(いまづ)の2村が合併、町制施行して成立。2006年(平成18)、阿南市に編入。JR牟岐(むぎ)線、国道55号が通じる。紀伊水道に注ぐ那賀川の河口北岸に位置する。那賀川の沖積地は県の穀倉地帯といわれ、キュウリ、イチゴ栽培も盛ん。沿岸ではワカメ、ノリの養殖が行われる。自然堤防上に立地する中島は木材の集積地で、製材や建具の生産が多く阪神に販路をもつ。古津(ふるつ)はかつては舟運で栄えた地。足利(あしかが)10代将軍義稙(よしたね)の子孫が平島公方(くぼう)と称して約250年間居住した地で、西光寺には義稙などの墓がある。
[高木秀樹]
『『那賀川町史』全2巻(2002・那賀川町)』
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