那賀川町(読み)なかがわちよう

日本歴史地名大系 「那賀川町」の解説

那賀川町
なかがわちよう

面積:一八・六五平方キロ

那賀郡の東端、那賀川の河口部北岸に位置する。東は紀伊水道に面し、北は小松島市、西は羽(は)ノ浦(うら)町に接し、南は那賀川を挟んで阿南市。同川南岸にも飛地がある。同川の堆積物によってつくられた平野部を占め、町域に標高二〇メートルを超える土地はない。南東流して那賀川河口で合流する出島(でじま)川をはじめ、紀伊水道へ注ぐ苅屋(かりや)川・落合(おちあい)川・幾島(いくしま)川などが東流し、北部を小松島湾に注ぐ太田(おおた)川が北東へ流れる。那賀川から取水した用水が町内を縦横に流れており、県内屈指の米作地帯を形成している。町の南西部をJR牟岐線が通り、西原(にしばら)・阿波中島(あわなかしま)の二駅がある。中央部は国道五五号阿南道路が北の小松島市から当町へ入り、新那賀川橋を渡って南の阿南市に抜ける。出島川と那賀川河口の合流点には中島港、幾島川の河口には今津(いまづ)漁港がある。

当町では原始・古代期の遺跡は発見されていない。町域は那賀川の土砂によってつくられた三角洲上の土地に位置し、その形成は比較的新しいものと推定されるが、延喜二二年(九二二)四月五日の奥付をもつ和泉国大鳥神社流記帳(大鳥大明神文書)にみえる那賀郡平方島(田畠五一〇余町)か平島(ひらじま)に比定されるので、一〇世紀には土地開発が進んでいたとみられる。「和名抄」那賀郡八郷のうちの幡羅(はら)郷は当町域の原(はら)・西原・大京原(だいきようばら)一帯に比定され、原は遺称地と考えられている。

中世には那賀郡は那東(なとう)郡と那西(なさい)郡に分れ当町域は那東郡に属したと思われる。また那賀川流域の全域に及ぶ那賀山(なかやま)庄に含まれ、南部は同庄平島郷内であった。平島は文安二年(一四四五)の「兵庫北関入船納帳」に湊としてその名が散見し、おもな積載品は材木であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)1 別の衣服に着替えること。特に夏冬の季節に応じて改めること。平安時代には、陰暦4月1日、10月1日に行われた。江戸幕府では、このほかに5月5日・9月9日などにも着替える定めがあった。現...

衣替えの用語解説を読む