20世紀日本人名事典 「邨田丹陵」の解説
邨田 丹陵
ムラタ タンリョウ
明治〜昭和期の日本画家
- 生年
- 明治5年7月20日(1872年)
- 没年
- 昭和15(1940)年1月27日
- 出生地
- 東京
- 本名
- 邨田 竧
- 別名
- 字=申申,別号=雪営霜舎主人,泰山楼主
- 経歴
- 母方の邨田家を継ぎ、吉沢素山、川辺御楯に師事。第3回内国勧業博覧会の「石橋山合戦図」で褒賞。翌年岡倉天心の日本青年絵画協会創立に参加、委員、審査員として作品を発表。明治29年同会は日本絵画協会と改称、31年日本美術院と連合したが、引き続き審査員を務めた。37〜38年の日露戦争では海軍に従事。40年第1回文展で受賞したが、以後画壇を退き、晩年菊作りの大家となった。代表作に「大政奉還図」(明治神宮絵画館)、「富士牧狩図」(宮内庁)、「大宮人図」(同)などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報