日本歴史地名大系 の解説
郡々蔵入并家中知行高村分帳(蔵入并知行高村分帳)
ぐんぐんくらいりならびにかちゆうちぎようだかむらわけちよう
一冊
成立 享保六年
原本 池田家文庫
解説 備前八郡・六一二ヵ村および備中領分三六ヵ村について、郡村別に蔵入高、知行取藩士(給人)の知行高および寺社領・学校領を書上げている。高は直高で記され、合計四九万五千八六五石余、うち蔵入高は約四〇パーセントの二〇万四一九石余、総知行高二九万五千四四六石余(学校領・寺社領一部を含む)。ほかに一千四一三石は地高で記され、一之宮・金山寺・岡山寺領などが該当する。家臣の知行地の分布は、家老の場合は軍事上の目的から配置場所が決められ、陣屋のある郡内に過半が集中するが、全体に複雑な分村制(幾つかの村に分散)・相給制(一村のうちに蔵入地と知行地、あるいは複数の給人の知行地が存在)によって分散度が高い。享保六年の場合、一村全体が蔵入地の村二〇三、一村全体が給人一人の知行地の村二六六、残る一七九ヵ村は蔵入地と知行地が混在または何人かの相給地である。知行地の分散は給人の知行権の分割と貢租の均衡を図ったものと考えられるが、承応三年の改革後は藩当局の決めた給地(知行)物成が支給されることになり、地方知行制は俸禄制と大差のないものとなった。「岡山県史」第二四巻所収。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報