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地方知行制 じかたちぎょうせい

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大辞林 第三版の解説

じかたちぎょうせい【地方知行制】

江戸初期、大名の家臣または幕府の旗本が、一定の土地支配権を与えられ、そこからの収益を俸禄として受け取る制度。 → 給地知行所

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

地方知行制
じかたちぎょうせい

江戸時代に大名が、家臣に一定の領地(知行地、給地、給知などという)を与えるとともに、年貢の決定・徴収権、百姓の使役権、裁判権なども保持させて、領地と農民を直接支配させた知行制度。太閤(たいこう)検地によって石高(こくだか)制が採用された結果、石高を基準とした新しい知行制が全国的に成立することになったが、豊臣(とよとみ)秀吉以降の統一権力は、国わけ・知行割を実施して、諸大名の領地を確定する一方、諸大名も、直轄地としての蔵入地(くらいりち)を設置するとともに、知行割を実施して家臣に知行地を与えた。その結果、家臣団と知行地との古い結び付きは断ち切られるとともに、それまでの一円的な支配形態も否定され、数か村を分散して宛行(あてが)われる分散知行形態(「散(ち)り懸(がか)り」ともいう)になった。これを相給(あいきゅう)ともいうが、それは、村単位にみれば、2人以上の知行地が分割して宛行われたからで、江戸時代の地方知行制の大きな特徴の一つである。諸大名は、しばしば知行割を実施して給人と知行地との結び付きを断ち切るとともに、平均免(ならしめん)を実施して年貢の決定・収納権を否定し、さらに、給人が給地農民をかってに処罰したり、使役したりすることなどを諸法令によって制限・禁止した。こうして給人の知行権はしだいに大名権力のなかに吸収され、地方知行制は形骸(けいがい)化していった。
 こうした制限がいっそう強められたとき、蔵米(くらまい)知行制(俸禄(ほうろく)制)という新しい知行形態が生まれるが、それは、地方知行制にかわって、大名が藩の領地・農民のすべてを直接に支配し、そこから藩庫に収納された蔵米を家臣団の禄高に応じて支給する知行制度である。こうして、給人の知行地(給地)は、実質的には蔵入地と同様のものになり、大名の領地・農民に対する一元的な支配が確立することになった。そして、地方知行制から蔵米知行制への移行の画期をなしたのは、17世紀中葉の初期藩政改革であった。
 元禄(げんろく)(1688~1704)初年の『土芥寇讎記(どかいこうしゅうき)』によれば、243大名のうち、地方知行制を残すものは、16%の42家にすぎず、多くの藩で蔵米知行制が採用されていることになるが、地方知行制を残した藩の多くが辺境地帯の外様(とざま)大藩であるため、所領規模からみると、55.37%が地方知行制を残していたことになる。しかし、その多くの場合も、地方知行制は上級家臣に限られ、給人の知行権もきわめて限定されていた。[吉武佳一郎]
『藤野保著『大名と領国経営』(1978・新人物往来社) ▽金井圓著『藩制成立期の研究』(1975・吉川弘文館) ▽鈴木壽著『近世知行制の研究』(1971・日本学術振興会)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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