日本歴史地名大系 「部室村」の解説 部室村へむろむら 茨城県:東茨城郡美野里町部室村[現在地名]美野里町部室巴(ともえ)川の右岸に位置し、東は小岩戸(こいわと)村。池花(いけばな)池とそれに続く湿地帯の周辺の村。中世は小鶴(こづる)庄、のち佐竹氏の支配下となる。慶長七年(一六〇二)秋田氏領となったことを示す御知行之覚(秋田家文書)に辺室村六〇・三五石がある。正保二年(一六四五)天領となり、寛文元年(一六六一)旗本曾我氏知行地となり、本木氏が曾我氏の代官として明治まで当地を支配し居住した。同氏の墓や代官屋敷の一部が現存する。正保三年(一六四六)の常陸国茨城郡宍戸領之内部室村御検地水帳(本木弘毅氏蔵)があり、また正徳四年(一七一四)の法円寺過去帳(法円寺蔵)にも「部室村」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by