都留郡(読み)つるぐん

日本歴史地名大系 「都留郡」の解説

都留郡
つるぐん

甲斐国の東部に位置し、郡域はほぼ現在の北都留・南都留両郡と富士吉田・都留・大月三市にあたる。西は山梨・八代両郡に境を接し、とくに山梨郡とは大菩薩だいぼさつ嶺と笹子ささご峠を結ぶ山嶺によって隔てられていた。また北から東にかけては関東山地によって武蔵・相模両国に、南は駿河国に境を接していた。郡域の大部分は山中やまなか(現山中湖村)に源を発する桂川(相模川)とその支流域であるが、一部北方山地は東京湾に注ぐ多摩川の上流である。

〔古代〕

「和名抄」東急本国郡部は郡名に「豆留」の訓を付す。自然的にも人文的にも関東諸国との関係が深く、開拓も相模方面から桂川を遡上して進められた可能性が大きい。国中くになか三郡ほど郡域に大きな変動はみられないが、古代における八代郡との郡境は現在よりも東方に位置し、また相模国とは国境紛争があった。「日本後紀」延暦一六年(七九七)三月二日条に、両国の国境の争論を裁定し、「都留郡□留村東辺砥沢」を両国の境と定め、以西を甲斐国の地、以東を相模国の地としたことがみえる。欠字については、(一)「鹿」字を入れて「鹿留村」とし現都留市鹿留ししどめに当て、「砥沢」を同戸沢とざわに比定する説(甲斐名勝志・甲斐国志)、(二)「都」字を入れて「都留村」とし、「和名抄」の都留郷、現上野原うえのはら町に当て、「砥沢」を現神奈川県津久井つくい藤野ふじの名倉なぐらの那倉沢に比定する説(大日本地名辞書)、(三)「砥沢」を「といしざわ」と読み、道志どうしをその転訛として現道志村から流れて相模川に合流する道志川とする八巻与志夫氏の説がある。(一)は地名は符合するが、東西を分つべき国境線は桂川の本流域上に求めるのが自然であるから従いがたい。その目安となるのが本流と支流の合流点であり、(二)も(三)もこれに予盾しない。ただし(三)の場合、現在の県境、すなわち旧国境はこの時に決定されたものではないということになる。

郡名の由来については、長寿の鳥、鶴に語源を求める説が古くからあった。「和歌童蒙抄」に「かひの国のつるの郡に菊おひたる山あり。その山の谷より流るる水、菊を洗ふ。これによりて、その水を飲む人は、命ながくしてつるのごとし。仍て郡の名とせり。彼ノ国ノ風土記にみえたり」とあり、「夫木抄」は権大納言長家の「雲のうへにきくほりうゑてかひのくにつるのこほりをうつしてぞみる」の後注としてほぼ同内容の記事を漢文体で引用している。これは「甲斐国風土記」の逸文として今日知られる唯一のものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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