小山田信茂(読み)おやまだ のぶしげ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小山田信茂」の解説

小山田信茂 おやまだ-のぶしげ

1539-1582 戦国-織豊時代の武将
天文(てんぶん)8年生まれ。小山田出羽守(でわのかみ)信有の子。天文21年父の死で甲斐(かい)(山梨県)都留郡(つるぐん)谷村城主をつぐ。武田信玄の談合衆のひとりで,戦い上手でもあった。武田勝頼滅亡のときうらぎったが,天正(てんしょう)10年3月24日織田信長に甲府善光寺で殺された。44歳。通称は弥三郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の小山田信茂の言及

【甲州征伐】より

…また家康も駿河口から攻撃を開始し,武田氏の一族穴山梅雪を味方にした。こうした状況の中で諏訪まで出陣していた勝頼は,2月28日に前年より築城していた新府城に帰り,3月3日には郡内の領主小山田信茂の意見に従い城に火を放ち大月の岩殿城に向かった。勝頼を裏切った信茂は9日に人質を奪って逃げ,勝頼一行に鉄砲を撃ちかけたので,勝頼は死を覚悟し,祖先ゆかりの天目山を目ざし田野に至ったとき,滝川一益,河尻秀隆の軍に攻められて戦い,11日に夫人や子息信勝とともに自刃した。…

【天目山の戦】より

…1582年(天正10)3月11日,甲斐の戦国大名武田氏が滅亡した合戦。織田信長・徳川家康の連合軍に攻められて窮地に陥った武田勝頼は,郡内領主小山田信茂の誘いに応じて,3月3日築城したばかりの新府城(韮崎市)に火を放って郡内岩殿城(現,大月市内)に向かったが,9日には裏切った信茂に鉄砲を撃ちかけられ行く手をはばまれたので,やむなく先祖の武田信満が上杉禅秀の乱で戦死した天目山(東山梨郡大和村)を死地に定め,日川の谷を上った。新府をたったときには700名以上いた武士も次々に去り,わずか四十数名になった。…

※「小山田信茂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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