日本大百科全書(ニッポニカ) 「鄭夢準」の意味・わかりやすい解説
鄭夢準
ちょんもんじゅん
(1951― )
韓国サッカー協会会長、国際サッカー連盟(FIFA(フィファ))副会長。ソウル生まれ。現代グループ創業者である鄭周永(ていしゅうえい/チョンジュヨン)(1915―2001)の六男。ソウル大学卒業後、マサチューセッツ工科大学(MIT)経営大学院で学び、ジョンズ・ホプキンズ大学国際関係大学院で博士課程を修了した。現代重工業社長を経て1988年の国会議員選挙に当選。現在4期目を務める政治家でもある。
スポーツではスキーと乗馬の競技歴があり、その実力は韓国選手権レベルである。サッカーよりもアーチェリー協会の仕事に早く携わり、1983年には韓国アーチェリー協会の会長に就任している。韓国サッカー協会の会長に就任したのは93年である。当時は、サッカー界ではほとんど名を知られていない存在であったが、現代グループの豊富な資金力と幅広い行動力で、サッカー界の中心人物に躍り出た。2002年のワールドカップ招致に関し、韓国は当初は消極的な姿勢をみせていたが、ワールドカップ・アメリカ大会予選終了後に開催地に立候補することを明言し、すでに積極的な活動をしていた日本を猛烈に追い上げた。1994年には、アジアサッカー連盟(AFC)が選出する国際サッカー連盟(FIFA)の副会長選挙に立候補した。サウジアラビア、クウェート、日本からの立候補者を抑えてFIFA副会長に当選すると、持ち前の行動力と政治力で韓日共催実現に大きな力を発揮した。また、極東地区のサッカーの強化・発展にも力を注ぎ、韓国、日本、中国、北朝鮮による「極東版チャンピオンズ・リーグ」構想の実現に向けての活動も行っている。
[中倉一志]