配津村(読み)はいづむら

日本歴史地名大系 「配津村」の解説

配津村
はいづむら

[現在地名]豊田市配津町

市域南端部で矢作川に架かるあおい大橋と天神橋の中間、阿弥陀堂の東に位置する。永禄期(一五五八―七〇)家康が、灰津野の境争論について裁定を下し、長沢松平の親広に申送っているが、この灰津野は配津村近辺と推定される(豊田市史)近世を通じて岡崎藩領。享保一五年(一七三〇)の川通り草葉利用規定(三浦半一郎家蔵)によると、矢作川の堤防が川通り村々の入会地で、草木・落葉などの採取につき村内で取決めを行っている。宝暦七年(一七五七)の当村三浦家の田畑名寄覚之帳(同家蔵)によると、周辺の渡刈とがり村・西鴛鴨にしおしかも村を含めて、三浦家が広範に土地集積を行っていることがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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