配津村(読み)はいづむら

日本歴史地名大系 「配津村」の解説

配津村
はいづむら

[現在地名]豊田市配津町

市域南端部で矢作川に架かる葵(あおい)大橋と天神橋の中間、阿弥陀堂の東に位置する。永禄期(一五五八―七〇)に家康が、灰津野の境争論について裁定を下し、長沢松平の親広に申送っているが、この灰津野は配津村近辺と推定される(豊田市史)。近世を通じて岡崎藩領。享保一五年(一七三〇)の川通り草葉利用規定(三浦半一郎家蔵)によると、矢作川の堤防が川通り村々の入会地で、草木・落葉などの採取につき村内で取決めを行っている。宝暦七年(一七五七)の当村三浦家の田畑名寄覚之帳(同家蔵)によると、周辺の渡刈(とがり)村・西鴛鴨(にしおしかも)村を含めて、三浦家が広範に土地集積を行っていることがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ノーベルがスウェーデンアカデミーに寄付した遺産を基金とする世界的な賞。1901年以降行われ、毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和・経済学の6部門において、顕著な功績のあった人に授与される。...

ノーベル賞の用語解説を読む