酒匂常明(読み)サコウ ツネアキ

20世紀日本人名事典 「酒匂常明」の解説

酒匂 常明
サコウ ツネアキ

明治期の農学者,農政家 農商務省農務局長;大日本製糖社長。



生年
文久1年11月27日(1861年)

没年
明治42(1909)年7月11日

出生地
但馬国出石(兵庫県)

学歴〔年〕
駒場農学校(現・東京大学)〔明治16年〕卒

学位〔年〕
農学博士

経歴
明治16年駒場農学校(東京大学農学部の前身)農学科・農芸化学科を卒業し、17年母校の教職に就き、19年農商務省属を兼ねる。農事巡回教師として全国に米作改良のため乾田・深耕・施肥改良を唱えた。22年欧州に派遣され、特にドイツの土地整備法などの研究を深め、24年帰国。農科大学教授兼農商務省技師となり、「米作新論」を著し“米博士”と称される。25年北海道庁財務部長として赴任。北垣国道長官に進言して白石や亀田に稲作試験地を設け、札幌農学校の稲作否定の時期に移民水苗代から直播法への道を奨励し北海道米作の普及に貢献した。29年臨時北海道鉄道敷設部に転じ、30年拓殖殖民部長。廃官により、のち農商務省農務局長となる。経験的稲作法を批判した「改良日本稲作法」を著し、また耕地整理法・勧業銀行法の成立、農会法の整備に尽力する。渋沢栄一に望まれて、39年大日本製糖社長に就任するが、日糖疑獄が起こり、42年7月責任を取って短銃自殺した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「酒匂常明」の解説

酒匂常明 さこう-つねあき

1861-1909 明治時代の農学者,官僚
文久元年11月27日生まれ。東京農林学校教授をへて,明治36年農商務省農務局長となる。経験的稲作法を批判した「改良日本稲作法」をあらわし,また耕地整理法の成立につとめた。39年大日本製糖社長となるが,日糖疑獄がおこり,42年7月11日責任をとって自殺した。49歳。兵庫県出身。駒場農学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「酒匂常明」の解説

酒匂 常明 (さこう つねあき)

生年月日:1861年11月27日
明治時代の農学者;農政家。帝国大学教授;農商務省農務局長
1909年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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