日本歴史地名大系 「里公文中村・里公文下村」の解説
里公文中村・里公文下村
さとくもんなかむら・さとくもんしもむら
正保郷帳では里公文村は田方五〇三石余・畑方二四七石余。合計高は八〇一石余とあり、計算が合わない。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳の改出高二九一石余・開高三八石余。「作陽誌」の戸口は六四軒・四一四人。その後三村に分れ、延享三年の里公文下村の本田畑名寄帳(久米町史)による持高は五石以下一一人、五―一〇石未満六人、一〇―二〇石未満五人、三二石一人、四九石一人の計二四人。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報