里公文中村・里公文下村(読み)さとくもんなかむら・さとくもんしもむら

日本歴史地名大系 「里公文中村・里公文下村」の解説

里公文中村・里公文下村
さとくもんなかむら・さとくもんしもむら

[現在地名]久米町里公文さとくもん

倭文しとり川北側の丘陵地にあり、東は桑上くわかみ村、もとは公文くもん村、のち里公文村になり、延享四年(一七四七)上・中・下の三村に分れた(久米郡誌)。ほぼ北西から南東へ上・中・下と並ぶ。正長元年(一四二八)四月二六日の西山四郎五郎譲状(美作古簡集)に「公文上下」と記される。文禄三年(一五九四)二月九日の江原親次寄進(幻住寺文書)によれば、幻住げんじゆう庵は永禄九年(一五六六)以来断絶していたが、天正一九年(一五九一)存説により再興されたので、「公文村守里・是貞名之内拾貫前」を寄進するとある。

正保郷帳では里公文村は田方五〇三石余・畑方二四七石余。合計高は八〇一石余とあり、計算が合わない。元禄一〇年(一六九七)美作国郡村高辻帳の改出高二九一石余・開高三八石余。「作陽誌」の戸口は六四軒・四一四人。その後三村に分れ、延享三年の里公文下村の本田畑名寄帳(久米町史)による持高は五石以下一一人、五―一〇石未満六人、一〇―二〇石未満五人、三二石一人、四九石一人の計二四人。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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