日本歴史地名大系 「野々脇鉱山跡」の解説 野々脇鉱山跡ののわきこうざんあと 徳島県:美馬郡木屋平村中村山野々脇鉱山跡[現在地名]木屋平村 東野々脇・西野々脇中村(なかむら)山の野々脇地区にあった銅山。三郎(さぶろう)鉱山ともいった。川田(かわた)川流域の高越(こうつ)山から川田山・東(ひがし)山一帯にかけては、地質構造上は結晶片岩の三波川帯の無点紋帯に属し、泥質片岩と塩基性片岩との互層中に含銅硫化鉄鉱石床の良質銅鉱を産出、江戸時代から太郎(たろう)鉱山(東山鉱山)・三郎鉱山、五郎(ごろう)鉱山(持部鉱山)などが開発された。当鉱山は藩直轄で貞享二年(一六八五)に採掘が開始された。鉱石が大量に露出していて、初期には土地を保有していた百姓が掘出した鉱石を藩が買収する形式で生産を始め、幕末期には、麻植(おえ)郡川田村(現山川町)北島(きたじま)の原田音三郎と佐伯藤三郎によって開坑されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報