野介庄(読み)のけのしよう

日本歴史地名大系 「野介庄」の解説

野介庄
のけのしよう

野芥のけを遺称地とする庄園。永治元年(一一四一)鳥羽法皇の寵姫美福門院(藤原得子)の御願寺として建立された歓喜光かんきこう(現京都市左京区)に寄進された庄園で、美福門院を母とする鳥羽天皇皇女八条院子内親王)へ伝領された。安元二年(一一七六)二月日の八条院領目録(山科家古文書/平安遺文一〇)に「筑前国野介」とあり、官符を帯していた。その後本家職は他の八条院領と同様に伝領され、嘉元四年(一三〇六)には亀山天皇皇女昭慶門院領となっている。同年六月一二日の昭慶門院領目録案(竹内文平氏旧蔵文書/鎌倉遺文二九)によれば、当時大炊御門前中納言藤原冬輔が何らかの権利を有していた。養和元年(一一八一)と推定される一一月二三日付の紀俊守申状(東京国立博物館蔵高山寺文書/平安遺文一一)によると、この年野介庄には三五〇石の兵粮米国衙から課されたが、野介庄の三分の二は他所他庄の住人が入作しており、彼らは所当米以外の臨時役を拒否し、兵粮米を納めなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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