鎮西探題(読み)ちんぜいたんだい

デジタル大辞泉の解説

ちんぜい‐たんだい【鎮西探題】

鎌倉幕府職名。永仁元年(1293)博多に置かれ、九州の御家人を統轄して、沿海防備・裁判・一般政務をつかさどった。鎌倉幕府滅亡とともに消滅。

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百科事典マイペディアの解説

鎮西探題【ちんぜいたんだい】

九州の統制のため鎌倉幕府が設けた職名。成立時期については1293年説と1297年説があるが,代々北条氏一族がこの職に任命された。職務は九州の御家人を異国警固番役に専念させるため,鎌倉への参訴を禁じ,幕府にかわって現地において訴訟を裁決した。元弘の乱で討滅。→九州探題
→関連項目大友貞宗菊池氏探題筑前国鎮西奉行御教書

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世界大百科事典 第2版の解説

ちんぜいたんだい【鎮西探題】

九州の御家人を異国警固番役に専念させるため,御家人の関東への参訴を禁止して,現地において訴訟を裁決した鎌倉幕府の九州統治機関,またその機関の長。博多の櫛田神社近辺に設置されたといわれる。成立時期については,九州における聴訴権をもつ北条兼時,同時家が九州に下向した1293年(永仁1)説と,訴訟の裁断権をもつ北条(金沢(かねさわ))実政が初めて裁許状を発給した97年説がある。実政の後も北条(金沢)政顕(まさあき),北条(阿曾)随時(ゆきとき),北条(赤橋)英時(ひでとき)と北条氏一族が任命された(政顕と随時の間に政顕の子種時を入れるかどうかで意見が分かれている)。

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大辞林 第三版の解説

ちんぜいたんだい【鎮西探題】

1293年に鎮西談議所に代わって九州地方統轄のため設置された鎌倉幕府の機関。代々北条氏一族が任命され、博多にいて軍事・行政・裁判をつかさどる。1333年幕府滅亡とともに滅びた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鎮西探題
ちんぜいたんだい

モンゴル(元)襲来後、九州地方における御家人(ごけにん)の軍事統率と訴訟裁断を目的として、博多(はかた)に設置された鎌倉幕府の出先機関。設置された時期については、北条兼時(ほうじょうかねとき)・北条時家(ときいえ)が鎮西に下向した1293年(永仁1)3月とする説、金沢実政(かねさわさねまさ)が鎮西に下向した1296年9月とする説がある。実政は、それまで鎮西における訴訟の裁断を六波羅探題(ろくはらたんだい)が行っていたのにかわって、最終裁断権を行使し、「依仰下知如件」の書止め文言を有する裁許状を発給した。鎮西探題は北条氏一族1名が任命され、その下に鎮西有力御家人から任命された引付(ひきつけ)衆がおり、三番に分かれて問注(もんちゅう)を処理した。実政以後、北条政顕(まさあき)、北条随時(ゆきとき)、北条英時(ひでとき)が鎮西探題に就任した。1333年(元弘3・正慶2)5月25日、少弐(しょうに)・大友・島津氏など鎮西武士たちの襲撃を受けて、北条英時は博多姪浜(めいのはま)の館(たち)で自害し、鎮西探題は滅亡した。なお、鎮西探題は、鎌倉時代初期に設置された鎮西奉行(ぶぎょう)、室町幕府によって設けられた鎮西管領(かんれい)、九州探題とは区別して用いられる。[瀬野精一郎]
『佐藤進一著『鎌倉幕府訴訟制度の研究』(1946・目黒書店) ▽瀬野精一郎著『鎮西御家人の研究』(1975・吉川弘文館)』

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精選版 日本国語大辞典の解説

ちんぜい‐たんだい【鎮西探題】

〘名〙 鎌倉幕府が九州地方を統治するために設置した職名。鎮西奉行および鎮西談議所の後身。永仁年間(一二九三‐九九)博多に設置され、九州地方の地頭・御家人を統率し、軍事指揮や一般政務および訴訟を行なった。探題は北条一門の中から選任され、その下に評定衆や引付衆があった。元弘三年(一三三三)、幕府の滅亡とともに少弐・大友氏らに攻められて滅びた。室町幕府の九州探題はこれにならったもの。〔歴代鎮西要略‐三・永仁元年(1293)〕

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世界大百科事典内の鎮西探題の言及

【九州探題】より

…室町幕府が九州統制のため博多においた職,広域行政機関。初めは鎮西管領,鎮西探題とも称される。1336年(延元1∥建武3),九州に敗走した足利尊氏が,筑前多々良浜合戦で勝機を得,大挙東上する際,一色範氏を九州にとどめて幕府軍を統轄させたのが始まり。…

【探題】より

…もともとは前記の仏教用語に発するもので,その論題の判定機能のゆえに幕府の裁判担当者の職名に転じたとみなされている。鎌倉幕府では東国の執権・連署が探題と呼ばれ,また西国・九州を単位としてそれぞれ六波羅探題・鎮西探題が置かれたが,その職名は通称であって,正式の職名ではなかったようである。室町幕府では幕府や関東府の管領・執事が探題と呼ばれた例はなく,それ以外の広い地域の管領権を有する職についてのみ探題と呼ばれた。…

※「鎮西探題」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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