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野村軍記 のむら ぐんき

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

野村軍記 のむら-ぐんき

1774-1834 江戸時代後期の武士。
安永3年生まれ。陸奥(むつ)八戸(はちのへ)藩(青森県)藩士。文政元年主法専務となり,経費節減,新田開発,専売制の実施など藩財政再建につとめる。天保(てんぽう)5年百姓一揆(いっき)をまねいた責任をとわれ,10月20日閉門中に病死した。61歳。初名は宗軌(むねみち)。字(あざな)は子範。通称は左門。号は潜竜,金竜堂など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

野村軍記

没年:天保5.10.20(1834.11.20)
生年:安永3(1774)
江戸後期の陸奥国(青森県)八戸藩の家臣。父は明宗。名は武一。字は金竜堂。通称左門。金成(石高に応じて金で支給される)50石をもって仕えた。藩財政の逼迫に悩んでいた八戸藩では,軍記を主法専務に登用して,文政2(1819)年から藩政改革に乗り出した。江戸藩邸の経費節減,綱紀粛正,新田開発,特産品の移出,藩専売制の実施による商業資本の統制など,多岐にわたる財政再建策を打ち出した。軍記は側用人に登り権勢はほかに並ぶ者がなかったが,藩士や領民の反感を買った。天保5(1834)年八戸藩領で起こった総百姓一揆の責任を負わされて入牢して八戸で獄死した。「八戸のことは良きも悪しきも軍記さま」といわれるように,同藩と八戸地方に残した足跡はきわめて大きかった。

(長谷川成一)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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