朝日日本歴史人物事典 「野村軍記」の解説
野村軍記
生年:安永3(1774)
江戸後期の陸奥国(青森県)八戸藩の家臣。父は明宗。名は武一。字は金竜堂。通称左門。金成(石高に応じて金で支給される)50石をもって仕えた。藩財政の逼迫に悩んでいた八戸藩では,軍記を主法専務に登用して,文政2(1819)年から藩政改革に乗り出した。江戸藩邸の経費節減,綱紀粛正,新田開発,特産品の移出,藩専売制の実施による商業資本の統制など,多岐にわたる財政再建策を打ち出した。軍記は側用人に登り権勢はほかに並ぶ者がなかったが,藩士や領民の反感を買った。天保5(1834)年八戸藩領で起こった総百姓一揆の責任を負わされて入牢して八戸で獄死した。「八戸のことは良きも悪しきも軍記さま」といわれるように,同藩と八戸地方に残した足跡はきわめて大きかった。
(長谷川成一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報