野田俊作(読み)ノダ シュンサク

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「野田俊作」の解説

野田 俊作
ノダ シュンサク


肩書
衆院議員(政友会),参院議員(自民党)

生年月日
明治21年5月14日

出生地
福岡県

学歴
東京帝大経済科〔大正2年〕卒

経歴
満鉄東京支社庶務課長を経て、大正13年以来衆院議員当選6回、政友会に属した。鉄道参与官、司法政務次官、政友会総務を歴任。その間朝鮮紡織、満州製麻、電通各取締役、西日本新聞社監査役を務めた。戦争中は議席を離れ、戦後昭和21年勅選貴院議員から福岡県知事となった。22年第1回以来参院議員当選3回、緑風会、のち自民党に属し、参院外務委員長を務めた。

没年月日
昭和43年7月27日

家族
父=野田 卯太郎(政治家・実業家)

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「野田俊作」の解説

野田 俊作
ノダ シュンサク

大正・昭和期の政党政治家 衆院議員(政友会);参院議員(自民党)。



生年
明治21(1888)年5月14日

没年
昭和43(1968)年7月27日

出生地
福岡県

学歴〔年〕
東京帝大経済科〔大正2年〕卒

経歴
満鉄東京支社庶務課長を経て、大正13年以来衆院議員当選6回、政友会に属した。鉄道参与官、司法政務次官、政友会総務を歴任。その間朝鮮紡織、満州製麻、電通各取締役、西日本新聞社監査役を務めた。戦争中は議席を離れ、戦後昭和21年勅選貴院議員から福岡県知事となった。22年第1回以来参院議員当選3回、緑風会、のち自民党に属し、参院外務委員長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「野田俊作」の解説

野田俊作 のだ-しゅんさく

1888-1968 大正-昭和時代の政治家。
明治21年5月14日生まれ。野田卯太郎(うたろう)の長男。満鉄社員から政界にはいり,大正13年衆議院議員(当選6回,政友会)。昭和21年福岡県知事,22年参議院議員(当選3回,緑風会のち自民党)。昭和43年7月27日死去。80歳。福岡県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「野田俊作」の解説

野田 俊作 (のだ しゅんさく)

生年月日:1888年5月14日
昭和時代の政治家
1968年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android