野田御厨(読み)のだのみくりや

日本歴史地名大系 「野田御厨」の解説

野田御厨
のだのみくりや

伊勢内宮領で野田御園ともいう。祖父江そぶえ野田のだ辺りに比定される。建久三年(一一九二)の二所太神宮領注進状写(皇太神宮建久已下古文書)に、

<資料は省略されています>

とあり、「神鳳鈔」には「内宮 野田御(厨) 上分八丈絹六疋糸廿 畠五十町」とある。鎌倉期には、八丈絹六疋と糸二〇が内宮に上納されるべきとされていたが、それも滞りがちであった。前田家所蔵文書によれば、貞治五年(一三六六)四月二七日、沙弥祐康(土岐頼雄)は、自身が創建した大興たいこう(岐阜県揖斐郡)に、野田御厨地頭職内一方等五ヵ所を寄進した。また、応永七年(一四〇〇)九月一〇日には、彼の一族と思われる伊勢守貞利が野田御厨を同じ大興寺に永代寄進した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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