日本大百科全書(ニッポニカ) 「野田醤油大争議」の意味・わかりやすい解説
野田醤油大争議
のだしょうゆだいそうぎ
千葉県の野田醤油会社で1927年(昭和2)9月から翌28年4月まで216日間にわたって闘われた第二次世界大戦前最長の争議。日本労働総同盟(総同盟)の指導で行われた。27年4月10日、総同盟関東醸造労働組合野田支部は、賃上げなど6項目の待遇改善を要求、要求がいれられなければ5月1日を期してストに突入することを言明したが、おりからの財界不況を理由に総同盟関東同盟が自重を求めたため、争議はいったん回避された。これに乗じて会社側は組合の切り崩しを始めた。9月15日組合側は総会を開き、スト決行を決議、翌16日より一斉ストに入った。会社は町当局、暴力団、右翼団体を使って猛烈な組合=争議団つぶしを図り、12月10日にはスト参加者のほぼ全員の735人を馘首(かくしゅ)。これに対し、争議団側は行商隊を組織し、東京への陳情団派遣、また盟休児童のための労働小学校を設けるなど結束を図った。28年3月20日争議団副団長堀越梅男(ほりこしうめお)による天皇直訴事件もあったが、結局、争議団側の惨敗に終わった。
[渡辺悦次]