朝日日本歴史人物事典 「野間三竹」の解説
野間三竹
生年:慶長13(1608)
江戸前期の儒医。名は成大,字は子苞,号は柳谷,静軒。野間玄琢の子。京都生まれ。寛永13(1636)年法橋,同15年法眼,同17年江戸幕府の奥医師に列し,東福門院(秀忠の娘・和子)の所属となり,以後隔年江戸に出仕。正保3(1646)年家督を継ぎ,寛文8(1668)年法印に進んだ。父玄琢の遺稿を増訂編集した『群方類稿』全63巻(失伝)をはじめ医書,詩稿,文集など多くの著作をなした。父子ともに蔵書に富み「白雲書庫」の蔵書印を使用。病死とされるが,実は悪口癖があり,小姓を罵倒して恨みを買い,刺殺されたとも伝えられる。以後野間家は代々幕府医官として仕え,幕末に至った。
(小曾戸洋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報