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東福門院 とうふくもんいん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東福門院
とうふくもんいん

[生]慶長12(1607).10.4. 江戸
[没]延宝6(1678).6.15. 京都
後水尾天皇の中宮和子。父は徳川秀忠,母は浅井長政の娘徳子。徳川氏は『禁中並公家諸法度』を公布して朝廷を押える一方,婚姻政策で朝廷を懐柔しようとした。元和6 (1620) 年和子は 14歳で女御となり,寛永1 (24) 年皇后に冊立されて明正天皇をはじめ,2皇子,5皇女を産んだ。

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デジタル大辞泉の解説

とうふく‐もんいん〔‐モンヰン〕【東福門院】

[1607~1678]後水尾天皇の中宮。徳川秀忠の娘。名は和子。徳川幕府の朝廷対策により、14歳で入内。明正天皇の母。

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百科事典マイペディアの解説

東福門院【とうふくもんいん】

徳川秀忠の八女。名は和子(かずこ)/(まさこ)。14歳で入内し,後水尾天皇女御となり,1623年一宮興子(いちのみやおきこ)(明正天皇)を産み1624年中宮となる。
→関連項目大宮御所寛永文化

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

東福門院 とうふくもんいん

1607-1678 江戸時代前期,後水尾(ごみずのお)天皇の中宮(ちゅうぐう)。
慶長12年10月4日生まれ。徳川秀忠の娘。母はお江与(崇源院)。元和(げんな)6年14歳で後水尾天皇の女御(にょうご)となる。9年興子(おきこ)内親王(明正(めいしょう)天皇)を生み,寛永元年中宮。6年院号をさずけられる。延宝6年6月15日死去。72歳。江戸出身。名は和子(かずこ)((まさこ))。
【格言など】武蔵野の草葉の末にやどりしかみやこの空にかへる月かげ(辞世)

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朝日日本歴史人物事典の解説

東福門院

没年:延宝6.6.15(1678.8.2)
生年:慶長12.10.4(1607.11.23)
江戸前期,後水尾天皇の中宮。江戸幕府2代将軍徳川秀忠と御台所達子(浅井長政の3女。お江与の方,崇源院)の末娘。名は和子。江戸で生まれる。誕生後まもなくから入内が画策されていたようで,慶長17(1612)年には公武間で交渉が進んだ。その後,大坂の陣徳川家康,後陽成天皇の相つぐ死などがあり延引。さらに御与津御寮人の一件もあり,入内が実現したのは元和6(1620)年6月のことであった。化粧料は1万石。2皇子5皇女を儲けたものの2皇子1皇女は夭折。寛永1(1624)年11月中宮となる。5年後,「紫衣事件」など幕府との軋轢のなか,後水尾天皇が東福門院所生の興子内親王(明正天皇)に突然譲位。これに伴い院号宣下を受けた。その後,後光明(生母は壬生院),後西(生母は逢春門院),霊元(生母は新広義門院)と3代の天皇の養母となる。東福門院の入内は禁裏の財政を支え,後水尾天皇の多くの皇子女の生活を救った。寛永の宮廷文化形成に欠くべからざる存在である。墓所は京都泉涌寺山内の月輪陵。<参考文献>熊倉功夫『後水尾院

(久保貴子)

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世界大百科事典 第2版の解説

とうふくもんいん【東福門院】

1607‐78(慶長12‐延宝6)
江戸前期,後水尾天皇の中宮。2代将軍徳川秀忠の五女,和子。母は浅井長政の三女江与(崇源院)。江戸幕府初期の不安定な朝幕関係の中で,徳川氏の婚姻政策により後水尾天皇の女御として入内した。入内は1614年(慶長19)に決定されたが,大坂の陣や家康の死などでのび,20年(元和6)に実現を見た(和子14歳)。幕府の権力を背景とした婚姻であったが,入内後は和子の温順な性格もあって天皇との関係は良く,23年に一宮興子(明正天皇)を生み,翌年には中宮となり,のちさらに2男4女をもうけた。

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大辞林 第三版の解説

とうふくもんいん【東福門院】

1607~1678) 後水尾天皇の中宮。名は和子。徳川秀忠の娘。明正天皇の母。1629年院号宣下。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東福門院
とうふくもんいん

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