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松永尺五

デジタル大辞泉の解説

まつなが‐せきご【松永尺五】

[1592~1657]江戸初期の儒学者。京都の人。貞徳の子。名は昌三。字(あざな)は遐年(かねん)。藤原惺窩(ふじわらせいか)の高弟。京都に講習堂を開き、門下から木下順庵貝原益軒らを出した。著「彝倫(いりん)抄」「四書事文実録」など。

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百科事典マイペディアの解説

松永尺五【まつながせきご】

江戸初期の朱子学者。字は遐年(かねん),名は昌三。京都の人。歌人貞徳(ていとく)の子で松永久秀の曾孫。藤原惺窩(せいか)に学び,老荘・仏教をも包容した。藤門(とうもん)四天王の一人で,門下に木下順庵安東省庵(せいあん),宇都宮遯庵(とんあん)らが出た。
→関連項目京学

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松永尺五 まつなが-せきご

1592-1657 江戸時代前期の儒者。
文禄(ぶんろく)元年生まれ。松永貞徳の子。藤原惺窩(せいか)にまなぶ。師没後,京学の中心となる。終生仕官せず,京都に春秋館,講習堂,尺五堂をひらく。門人に木下順庵,貝原益軒,安東省庵(せいあん)ら。明暦3年6月2日死去。66歳。京都出身。名は昌三。字(あざな)は遐年。通称は昌三郎。著作に「彝倫(いりん)抄」。
【格言など】凡そ人君は,日月の光のごとく,万人をたすくるようにあるべし(「彝倫抄」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

松永尺五

没年:明暦3.6.2(1657.7.12)
生年:文禄1(1592)
江戸時代前期の儒学者。字は遐年,名は昌三,通称は昌三郎。尺五,講習堂と号す。貞徳の子。祖父永種は藤原惺窩の父為純の従兄弟。和歌を細川幽斎に,儒学を藤原惺窩に学ぶ。惺窩門四天王のひとり。10歳代半ばで頭角をあらわし,加賀の前田氏,京都所司代板倉重宗の厚遇を受け,京都に講習堂,尺五堂の私塾を開いて,木下順庵,安東省庵,貝原益軒ら逸材を育てた。朱子学を中心にした儒仏道三教調和の思想で,なお中世的伝統を残している。<著作>『彝倫抄』『尺五先生全集』『尺吾堂集』<参考文献>玉懸博之「松永尺五の思想と小瀬甫庵の思想」(『藤原惺窩 林羅山』日本思想体系28)

(柴田純)

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世界大百科事典 第2版の解説

まつながせきご【松永尺五】

1592‐1657(文禄1‐明暦3)
江戸前期の朱子学派の儒者。名は昌三,字は遐年,通称は昌三郎,尺五は号。俳人松永貞徳の子として京都に生まれ,親戚の藤原惺窩(せいか)に師事した。林羅山らとともに藤門四天王の一人で,惺窩学の最もよき継承者となった。終生仕官せず,1648年(慶安1)京都に尺五堂を開き,門弟の教育に当たった。門下に木下順庵,貝原益軒,安東省庵らがいる。著書《尺五先生全集》《彝倫抄(いりんしよう)》など。【石毛 忠】

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大辞林 第三版の解説

まつながせきご【松永尺五】

1592~1657) 江戸前期の儒者。京都の人。名は昌三。松永貞徳の子。藤原惺窩の弟子。林羅山とは対照的に、禄仕せず長年京都で私塾を経営。門下に木下順庵・貝原益軒・安東省庵などを輩出。著「彝倫いりん抄」「尺五先生全集」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

松永尺五
まつながせきご

[生]文禄1(1592).京都
[没]明暦1(1655)/明暦3(1657).6.2. 京都
江戸時代前期の朱子学派の儒学者。名は遐年,字は昌三。貞徳の子。藤原惺窩に朱子学を学び,儒仏神三教一致の立場を取った。加賀藩に出仕したが,のち京都に帰り,春秋館,講習堂を建てたが,さらに慶安1 (1648) 年尺五堂を開き,子弟の教育にあたった。門人は 5000人と称され,木下順庵,貝原益軒,宇都宮遯庵らを輩出した。著書に『五経集注首書』『四書事文実録』『大海一滴』がある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松永尺五
まつながせきご
(1592―1657)

江戸初期の儒者。名は昌三。字(あざな)は遐年(かねん)。尺五は号である。松永家は駿河(するが)(静岡県)の出身。貞徳(ていとく)の子として京都に生まれる。貞徳は近世初頭の代表的文化人で、貞門俳諧(はいかい)の祖。藤原惺窩(ふじわらせいか)とは再従兄弟(またいとこ)の間柄。松永久秀の曽孫(そうそん)とするのは誤伝である。幼少から惺窩に師事して儒学を修め、長じて惺窩門の四哲の一人となる。程朱学を奉じたが、惺窩に似て他説に寛容で、仏教、道教をも排斥しなかった。終生仕官せず、京都に講習堂、尺五堂を開いて、市井の学者・教育者として、惺窩なき後の京学を振興した。林羅山(はやしらざん)が程朱学のみを是(ぜ)として官学の祖となったのと対照的である。門下生に木下順庵(きのしたじゅんあん)、安東省庵(あんどうせいあん)、宇都宮遯庵(うつのみやとんあん)らの逸材がある。[玉懸博之]

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世界大百科事典内の松永尺五の言及

【漢詩文】より

…【玉村 竹二】
【近世】
 近世初期,漢詩文を制作するうえで必要とされる漢語その他中国文化万般にわたる知識をもっとも豊富に有していたのは儒者であったから,近世における漢詩文の歴史は,儒者の余技という形で出発した。すなわち近世最初の儒者である林羅山,松永尺五(せきご),堀杏庵,那波活所(なわかつしよ)などが,同時に近世最初の漢詩人でもあった。したがってその文学活動は,彼らの奉じた朱子学の文学観の影響を強く受け,知識人の重んずべきは儒学であって,詩文は第二義の営みにすぎないという消極的な位置づけと,詩文は道徳に資するものでなければならないという道学主義との拘束のもとにあった。…

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