日本歴史地名大系 「野鳥村」の解説 野鳥村のとりむら 福岡県:甘木市野鳥村[現在地名]甘木市野鳥下秋月村の東、古処(こしよ)山(八五九・五メートル)の南西麓に位置し、村域は野鳥川の流域に展開する。夜須(やす)郡に属し、南西は上秋月村、北は八丁(はつちよう)嶺を境に嘉麻(かま)郡泉河内(いずみごうち)村(現嘉穂町)。元和九年(一六二三)に秋月藩領となると、当地には同藩の陣屋が置かれ、また村域の一部は同陣屋の北西側に形成された秋月町(秋月城下)の敷地(おもに武家屋敷地)となった。なお「続風土記」は当村を「荷持村」と記すが、これは「日本書紀」神功皇后摂政前紀に羽白熊鷲の居所としてみえる「荷持田村」(のとりたのふれ)を当地にあてたことによる。古処山には中世秋月氏の居城であった古処山城跡がある。小早川時代の指出前之帳では野鳥村の田六反余(分米二〇石余)・畠七町八反余(分大豆五四石余)。慶長七年(一六〇二)の検地高一六〇石余、うち大豆七七石余(慶長石高帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by