金ヶ崎村(読み)かながさきむら

日本歴史地名大系 「金ヶ崎村」の解説

金ヶ崎村
かながさきむら

[現在地名]明石市魚住町金うおずみちようかなさき

赤根あかね川上流の西側、金ヶ崎山の南沿いに開けた村で、東は西脇にしわき村など。野々上組に所属。山陽道が通り、集落のほぼ中央で太山たいさん(現神戸市西区)への参詣道が分岐して道端に「左太山寺道」の大きな道標がある。応安四年(一三七一)二月一九日九州探題として京都より九州に赴く今川貞世(了俊)は、「かながさき」を通過している(道ゆきぶり)。慶長国絵図に「金か崎村」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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