山口県南東部の市。2005年2月旧柳井市と大畠(おおばたけ)町が合体して成立した。人口3万4730(2010)。
柳井市南東端の旧町。旧玖珂(くが)郡所属。1971年町制。人口3654(2000)。南は大畠瀬戸に面し,平たん地はきわめて少ない。中心集落の大畠は古くから瀬戸内海交通の要衝として開け,屋代島(周防大島)への連絡港でもあった。屋代島との間の大畠瀬戸は潮流が速いため海上交通の難所であったが,1976年に大島大橋が開通した。ミカン栽培と酪農中心の農業が行われ,ノリ,ワカメの養殖も盛んである。毎年旧暦8月23日に豊漁を祈って行われる俄(にわか)祭は有名で,多くの見物人でにぎわう。また攘夷論者で海防論を説いた月性(げつしよう)の詩碑が彼が住職を務めた妙円寺境内にある。JR山陽本線が通じる。
執筆者:清水 康厚
柳井市の南東端を除く旧市。1954年市制。人口3万3597(2000)。瀬戸内海に面し,熊毛半島東半部を市域とし,海上には平郡島が浮かぶ。南東前面に周防大島(屋代島)が控え,古くから海上交通の要地であった。中世の楊井津(やないづ)は対明貿易船の基地でもあり,津の中心であった古市,金屋(かなや)には町場があり,鋳物師(いもじ)が集住していた。近世には吉川氏の岩国領で,柳井湾岸の干拓地では製塩が行われ,柳井木綿の産も盛んであった。明治期には問屋商業によって栄えたが工業化はあまり進まず,柳井港は熊毛半島先端部の上関町などへの連絡船の基地で,四国松山港との間にはフェリーが就航,オレンジラインと呼ばれる。復元整備された茶臼山古墳(史)は最大級の仿製(ぼうせい)鏡を出土した前方後円墳。白壁造の町家が軒を並べる古市,金屋は伝統的建造物群保存地区に指定され,余田の臥竜梅は国の天然記念物。JR山陽本線が東西に走る。
執筆者:三浦 肇
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
山口県南東部、瀬戸内海に面した都市。瀬戸内海の平郡(へいぐん)島を含む。1954年(昭和29)柳井町と日積(ひづみ)、新庄(しんじょう)、余田(よた)、伊陸(いかち)の4村が合併して市制施行。同年平郡村、1956年阿月(あつき)、伊保庄(いおのしょう)の2村を編入。2005年(平成17)大畠町(おおばたけちょう)を合併。JR山陽本線、国道188号、437号が通じる。周防(すおう)大島との間に大畠瀬戸と柳井湾を控え、古代より西瀬戸内の要港として知られ、中世には楊井津(やないづ)といい対明(みん)貿易船の基地であった。近世は吉川(きっかわ)氏の岩国領となり、湾頭には古開作(こがいさく)、浜開作、宮本開作など干拓地が造成され、製塩と柳井木綿の産地として栄えた。現在も古市金屋(ふるいちかなや)地区の町並みには国森(くにもり)家住宅(1769年築造、国指定重要文化財)など白壁造の商家が並び、当時の商都柳井の景観をとどめ、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。明治期には内海水運や山陽鉄道(1897年開通)によって、問屋商業の町としてさらに発展し、県東部に広い商圏を確立したが、大正期以降は工業化も進まず停滞した。1965年周南(しゅうなん)工業整備特別地域の一部に指定され、塩田跡地に日立製作所の工場(ルネサスセミコンダクタ、2015年閉鎖)が設置された。1990年には中国電力柳井発電所が運転を開始している。商工業が主体。県営柳井港は、平郡島などへの定期航路の基地で、四国松山港との間にはフェリーなどが就航している。また周防大島とは大島大橋で結ばれている。国指定史跡茶臼山古墳(ちゃうすやまこふん)は日本最大級の仿製鏡(ぼうせいきょう)を出土した前方後円墳で、周囲は茶臼山古墳公園となっている。余田臥龍梅(がりゅうばい)は国指定天然記念物。面積140.05平方キロメートル、人口3万0799(2020)。
[三浦 肇]
『『柳井市史』全3巻(1964~1988・柳井市)』
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…室町時代には,山口盆地に本拠をもつ大内氏が朝鮮や中国との貿易によって経済的基盤を築き,中央へも進出したが,この大内氏の繁栄も,防長両国の地理的条件に負うところが大きい。近世になって防長2国を領有した毛利氏は瀬戸内海沿岸の浅海を干拓して農地を開発し,米,塩の増産をすすめ,また内海航路の発達に伴って,赤間関(あかまがせき),三田尻,室積(むろづみ),上関(かみのせき),柳井などの港町が開け,なかでも赤間関(現在の下関)は長崎とともに西日本屈指の商港として繁栄した。 明治以降,山陽本線の下関までの開通(1901)によって,大陸への西日本の門戸としての地域性を強め,また北九州工業地帯の延長として,下関をはじめ内海沿岸各地に,重化学工業の展開をみた。…
※「柳井」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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