20世紀日本人名事典 「金久保通雄」の解説 金久保 通雄カナクボ ミチオ 昭和期の新聞人,教育評論家 生年明治42(1909)年10月3日 没年昭和46(1971)年6月7日 出生地東京 学歴〔年〕法政大学予科〔昭和5年〕卒 経歴国民新聞社から東京日日新聞社を経て昭和11年読売新聞社に入った。新京支局長、南支那支局長、教育部長、論説委員、社会部長、編集局総務、出版局長などを歴任、つづり方コンクール、全日本学生キャンプ、読売教育賞など企画面で活躍した。また日刊新聞を小中学校の教材にした新聞学習を提唱、実験教育を試みた。昭和44年報知新聞に転じ常務、編集局長を務め、45年退社。著書に「ある社会部長の独白」「マスコミ文章読本」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「金久保通雄」の解説 金久保通雄 かなくぼ-みちお 1909-1971 昭和時代の新聞記者。明治42年10月3日生まれ。東京日日新聞などをへて昭和11年読売新聞にはいる。論説委員,社会部長,出版局長などを歴任し,つづり方コンクール,読売教育賞などを企画。44年報知新聞社常務取締役・編集局長。昭和46年6月7日死去。61歳。東京出身。法大卒。著作に「ある社会部長の独白」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by