日本歴史地名大系 「金勝庄」の解説 金勝庄こんぜのしよう 滋賀県:栗太郡栗東町金勝庄現栗東町南部地域および大津市田上(たなかみ)・甲賀郡信楽町域にまたがる庄園。金勝山上に天平五年(七三三)創建されたと伝える金勝(こんしよう)寺の寺域を基盤として成立したとみられ、金勝寺庄とも称した。天暦八年(九五四)四月七日付の左弁官下文案(宮内庁書陵部蔵金勝寺文書)に寺域は「限東阿星火堺谷、限南紫野南鈴嶽、限西岡牟礼山、限北滝山陀羅尼原」と記されている(現在宮内庁書陵部蔵の金勝寺文書全一四点はすべて後筆で文意・署名・花押などに問題点がある)。元暦元年(一一八四)から翌年にかけて、金勝寺領押領をはかって村上蔵人が乱入、源頼朝はこの狼藉停止を命じている(同二年四月二四日「源頼朝下知状」同文書)。年未詳七月一〇日付後嵯峨天皇綸旨案(同文書)によれば、金勝庄の住民が隣接する甲賀郡檜物(ひもの)庄に乱入狼藉したとして檜物庄住民から訴えられている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報