改訂新版 世界大百科事典 「金灘里遺跡」の意味・わかりやすい解説
金灘里遺跡 (きんだんりいせき)
Kumt`anni-yujǒk
朝鮮民主主義人民共和国ピョンヤン特別市寺洞区域,大同江中流の南江左岸の沖積地に立地し,櫛目文土器(新石器)時代から無文土器(青銅器)時代にわたる文化変遷を示す重要な集落遺跡。1954年の発掘調査によって,三つの文化層が明らかにされた。最下層の第1文化層では,平面が方形か長方形の竪穴式住居跡1基が発見され,横方向の沈線帯の間を三角文などで埋める丸底の深鉢を主体とする櫛目文土器や,石斧,石鏃,石錘などの各種の石器を出土した。その上の第2文化層では,平面長方形と方形の竪穴式住居跡4基を検出し,綾杉文や無文などの櫛目文土器,石斧,石鏃などの石器のほか,滑石製腕輪,土玉などを出土した。そのうち第11号住居跡からはどんぐりも採集された。最上位の第3文化層は無文土器時代に属し,ここでは平面長方形の竪穴式住居跡4基が発掘され,いわゆるコマ形土器の壺や甕などのほか,石斧,石鏃,石剣,石庖丁,石貨など豊富な磨製石器を出土した。とくに,第8号住居跡出土の青銅製鑿は稀有なものである。
執筆者:西谷 正
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報