針岡村(読み)はりおかむら

日本歴史地名大系 「針岡村」の解説

針岡村
はりおかむら

[現在地名]河北町針岡

東流し追波おつぱ湾に注ぐ追波川の南岸、硯上けんじよう山の北麓富士ふじ沼の周辺に位置。西は福地ふくじ村。慶長五年(一六〇〇)の葛西大崎船止日記(伊達家文書)の葛西中に「はりおかの内 舟六そう」とある。寛永元年(一六二四)と思われる針岡谷地切起についての書状(石母田家文書)によれば、十五浜じゆうごはま地方の田地をもたない百姓のため当地で川除普請を含め新田開発が行われた。正保郷帳では田二六貫二一三文・畑四貫一四四文で雑木山と注され、ほかに新田四貫文。桃生郡南方大肝入支配下の村で、「封内風土記」では戸数一三四。文政一一年(一八二八)の高一〇五貫五一五文、人頭九九人、人数五三二(「桃生南北本吉南方風土記」及川徳松家文書)、嘉永三年(一八五〇)の蔵入高一〇三貫五二二文で大部分が藩直轄領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android