日本歴史地名大系 「針峠」の解説 針峠すりはりとうげ 滋賀県:彦根市旧坂田郡地区摺針村針峠中山道(古代の東山道、中世の東海道)の峠で、中世の史料には磨針と書かれることが多い。中山道鳥居本(とりいもと)宿から北進した道は下矢倉(しもやぐら)村を出た辺りから山中に入り、甲田(こうた)村を経て当峠の上り坂となる。難所ではあったが峠からの眺望はよく、西方琵琶湖に浮ぶ竹生(ちくぶ)島も視界に入った。峠を下ると番場(ばんば)宿(現坂田郡米原町)で、同所からは番場峠という。「坂田郡志」が引く歌謡「東下り」に「小野宿より見渡せば斧斤を摩さしすり針や、番場と音の聞へしは此山松の夕嵐」とあり、針を作るための斧を磨く老翁が住んでいたとの言伝えがある。弘安三年(一二八〇)関東祗候の廷臣として鎌倉へ再度下った飛鳥井雅有は、「春のみやまち」に「くるゝ程にすりはり山をよぢのぼりて、くらめにぞばんばの宿にはつきぬる」と記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by