日本歴史地名大系 「番場宿」の解説
番場宿
ばんばしゆく
〔中世〕
「吾妻鏡」寛元四年(一二四六)七月二五日条に、帰洛途中の源頼経が「馬場」で一泊したことが記される。弘安三年(一二八〇)一一月一五日には飛鳥井雅有が「ばんばの宿」に泊っており(春のみやまち)、翌四年八月一七日の日付をもつ現近江八幡市
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「吾妻鏡」寛元四年(一二四六)七月二五日条に、帰洛途中の源頼経が「馬場」で一泊したことが記される。弘安三年(一二八〇)一一月一五日には飛鳥井雅有が「ばんばの宿」に泊っており(春のみやまち)、翌四年八月一七日の日付をもつ現近江八幡市
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中世,東山道の宿駅。現在の滋賀県米原市番場にあたる。1333年(元弘3)5月9日,足利尊氏に攻められ,関東に下る途中の六波羅北方探題北条仲時らは,五辻宮(亀山天皇皇子守良親王)を奉じた山賊・溢者(あぶれもの)などの軍勢にかこまれ,番場蓮華寺で主従432人が自害した。蓮華寺には北条仲時以下の過去帳と墓石群が残る。仲時が奉じた光厳天皇,後伏見・花園両上皇は捕らえられて京に送られ,供の日野資名らはここで出家した。また守良親王は,この追善のために多賀神社に多賀荘半分を寄進している。これより先,佐々木道誉は,鎌倉幕府軍として上洛途中の足利尊氏を番場宿に供応し,軍談,密約を交わしたという。また宿駅の往反については,摂家将軍九条頼経の帰洛(1246年7月,《吾妻鏡》),日野俊基の関東再下向(1331年7月,《太平記》)や一条兼良《藤川の記》などにみえる。
執筆者:宮島 敬一
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