鳥居本宿
とりいもとしゆく
[現在地名]彦根市鳥居本町
中山道の宿駅で江戸から六三番目。前宿の番場(現坂田郡米原町)から一里一町、次宿の高宮へ一里半。宿北端近くの下矢倉村から北国街道、南端の百々村から朝鮮人街道(彦根道)が分岐しており、北国街道で米原まで二里九町、朝鮮人街道で彦根城下まで一里(五駅弁覧)。百々村の南は小野村に続き、江戸時代初期までは同所が宿で、慶長七年(一六〇二)七月幕府の命により奈良屋・樽屋が中山道宿々の駄賃銭を定めた際には小野村が伝馬継所とされている(「小野町中宛奈良屋・樽屋連署状」関ヶ原町歴史民俗資料館蔵)。したがって鳥居本が宿に定められたのはこれ以降であるが、時期はつまびらかでない。当宿は鳥居本村だけでなく、北接する上矢倉村、南に続く西法寺村・百々村の三ヵ村が加宿で、分間延絵図をみると上矢倉村の宿入口から百々村まで街道沿いに家屋が軒を並べている。本陣一・脇本陣二・問屋場一は鳥居本村南端の東側にあり、その対面に高札場がある。「五駅弁覧」によると正徳元年(一七一一)に定められた賃銭は、番場宿まで本荷四七文・荷なし三〇文・人足二四文、高宮宿までは六七文・四二文・三一文、米原宿までは三六文・二四文・一八文、彦根城下までは四七文・三〇文・二四文。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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