鎌倉時代中期の公家(くげ)、歌人。雅経(まさつね)の孫、また、教定(のりさだ)の子。母は北条実時(さねとき)の女(むすめ)。正二位、参議に至る。関東祗候(しこう)の廷臣で、京、鎌倉をしばしば往来した。家業としての蹴鞠(けまり)にも秀で、また、御子左(みこひだり)家との縁戚関係もあって歌人としても知られた。1293年(永仁1)には、二条為世(ためよ)、京極為兼(ためかね)、六条隆博(たかひろ)とともに勅撰(ちょくせん)集撰進を命じられたが、この企画は中絶した。家集に『隣女和歌集』『別本隣女和歌集』があり、日記・紀行に『春の深山路(みやまじ)』『飛鳥井雅有日記』などがある。
[島津忠夫]
『佐佐木信綱校訂『飛鳥井雅有日記』(1949・古典文庫)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(三角洋一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
会社員に扶養されるパートら短時間労働者は年収106万円以上になると厚生年金保険料などの負担が生じて手取りが減る。将来の年金額は手厚くなるが、働き控えを招く「壁」とされ、企業の人手不足の要因となる。厚...