針江村(読み)はりえむら

日本歴史地名大系 「針江村」の解説

針江村
はりえむら

[現在地名]新旭町針江

琵琶湖畔に面し、西は田井(たい)村。南側に枝郷の小池(こいけ)がある。針は墾で、針江は湖沼地を開いた墾田の意であろう。天正二年(一五七四)六月の定林坊田畠帳(饗庭文書)に、はりへ・小池・大池とみえる。同一一年八月の杉原家次知行目録(浅野家文書)に「日爪 はり江」とあり、高一千一八九石余。寛永石高帳に高一千一七七石余とあり、旗本渡辺茂領、ほかに小物成二石余と幕府領の小物成一六石余がある。渡辺領は寛永二年(一六二五)以来のもの。慶安高辻帳では田方一千一五三石余・畑方二三石余、小物成も変わらない。その後渡辺氏は三家に分れ、天明村高帳では針江村・小池村と並記され、渡辺茂家八五五石余、渡辺均・保家はいずれも一六一石余。


針江村
はりえむら

[現在地名]大東町大東下分(だいとうしもぶん)

大東下分村の北、赤(あか)川の支流山田(やまだ)川下流域に位置する。永禄一三年(一五七〇)一月二八日、大東庄内の「はりゑ六拾貫足」などが多根因幡守(元房)に宛行われている(「毛利元就充行状」閥閲録)。同年四月一四日清左衛門尉(門脇清左衛門尉か)に針江の八幡宮が預け置かれ、祭・社役を行うように命じられている(「就親判物」諏訪家文書)。元亀四年(一五七三)針江八幡宮の検地が行われ、総田数九反三〇〇歩・分米七石二斗であった(同年一〇月六日「針江八幡宮領検地注文」同文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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