朝日日本歴史人物事典 「鈴木重成」の解説
鈴木重成
生年:天正15(1587)
江戸前期の代官。通称は三郎九郎。旗本鈴木重次の3男。三河国(愛知県)生まれ。徳川家康に仕え,関ケ原の戦,大坂の陣に出陣。元和6(1620)年,父の遺跡を継ぎ700石を知行する。寛永14(1637)年,島原の乱の際,肥前国(長崎県)原城攻略に老中松平信綱に従い戦功をあげ,18年に信綱の推挽により初代の天草(熊本県天草郡)代官となる。戦後の荒廃からの復興に尽力,薩摩(鹿児島)藩や肥前国大村藩よりの移民政策を行い,村の分合の整理による行政区画を実施し,法令伝達の統一化をはかる。郡総高4万2000石の確定に対し年貢減免を要求,石高半減を建議したがいれられず,江戸の自邸で自刃したという。しかし天草郡富岡(苓北町)の瑞林寺の供養塔には病死とある。年貢半減は重成の養子重辰のとき実現した(1659)。仏教思想家鈴木正三は実兄。本渡市(熊本県)には鈴木神社があり,名代官として重成が今も慕われている。
(村上直)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報