鈴木重成(読み)すずき しげなり

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木重成」の解説

鈴木重成 すずき-しげなり

1587-1653 江戸時代前期の武士
天正(てんしょう)15年生まれ。鈴木正三(しょうさん)の弟。幕臣島原の乱鎮圧に功をたて,寛永18年初代天草代官となり,乱後の復興尽力。年貢減免のため,同地の石高半減を幕府にうったえて,承応(じょうおう)2年10月15日自刃(じじん)した。67歳。三河(愛知県)出身通称は三郎九郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の鈴木重成の言及

【天草諸島】より

…1637年(寛永14)に起こった島原の乱で島は荒廃し人口は激減した。その後天草は一時期を除いて天領となり,代官鈴木重成と重辰父子は命がけで石高の半減,天草への移住を図るなど民生の回復に尽力,今では鈴木神社にまつられ島民の尊崇の的となっている。乱後のきびしい禁制の下,潜伏キリシタン信仰の灯は下島の西海岸を中心に明治まで消えなかった。…

【肥後国】より


[天草郡]
 天草郡は1601年寺沢広高に与えられたが内検によって4万2000石とし,富岡に城を築いて城代を置いた。37‐38年島原の乱ののち寺沢氏は天草を没収され,山崎甲斐守家治が富岡に入り3年間在任,41年天領となり代官鈴木重成(しげなり)・重辰(しげとき)父子によって復旧策が立てられ,59年(万治2)石高が半減されて2万1000石となった。64年戸田伊賀守忠昌が入封したが,71年転出したあと再び天領となり,維新まで天領であった。…

※「鈴木重成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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