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鈴木重成 すずき しげなり

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鈴木重成 すずき-しげなり

1587-1653 江戸時代前期の武士。
天正(てんしょう)15年生まれ。鈴木正三(しょうさん)の弟。幕臣。島原の乱鎮圧に功をたて,寛永18年初代天草代官となり,乱後の復興に尽力。年貢減免のため,同地の石高半減を幕府にうったえて,承応(じょうおう)2年10月15日自刃(じじん)した。67歳。三河(愛知県)出身。通称は三郎九郎。

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朝日日本歴史人物事典の解説

鈴木重成

没年:承応2.10.15(1653.12.4)
生年:天正15(1587)
江戸前期の代官。通称は三郎九郎。旗本鈴木重次の3男。三河国(愛知県)生まれ。徳川家康に仕え,関ケ原の戦,大坂の陣に出陣。元和6(1620)年,父の遺跡を継ぎ700石を知行する。寛永14(1637)年,島原の乱の際,肥前国(長崎県)原城攻略に老中松平信綱に従い戦功をあげ,18年に信綱の推挽により初代の天草(熊本県天草郡)代官となる。戦後の荒廃からの復興に尽力,薩摩(鹿児島)藩や肥前国大村藩よりの移民政策を行い,村の分合の整理による行政区画を実施し,法令伝達の統一化をはかる。郡総高4万2000石の確定に対し年貢減免を要求,石高半減を建議したがいれられず,江戸の自邸で自刃したという。しかし天草郡富岡(苓北町)の瑞林寺の供養塔には病死とある。年貢半減は重成の養子重辰のとき実現した(1659)。仏教思想家鈴木正三は実兄。本渡市(熊本県)には鈴木神社があり,名代官として重成が今も慕われている。

(村上直)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の鈴木重成の言及

【天草諸島】より

…1637年(寛永14)に起こった島原の乱で島は荒廃し人口は激減した。その後天草は一時期を除いて天領となり,代官鈴木重成と重辰父子は命がけで石高の半減,天草への移住を図るなど民生の回復に尽力,今では鈴木神社にまつられ島民の尊崇の的となっている。乱後のきびしい禁制の下,潜伏キリシタン信仰の灯は下島の西海岸を中心に明治まで消えなかった。…

【肥後国】より


[天草郡]
 天草郡は1601年寺沢広高に与えられたが内検によって4万2000石とし,富岡に城を築いて城代を置いた。37‐38年島原の乱ののち寺沢氏は天草を没収され,山崎甲斐守家治が富岡に入り3年間在任,41年天領となり代官鈴木重成(しげなり)・重辰(しげとき)父子によって復旧策が立てられ,59年(万治2)石高が半減されて2万1000石となった。64年戸田伊賀守忠昌が入封したが,71年転出したあと再び天領となり,維新まで天領であった。…

※「鈴木重成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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