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中院通村 なかのいん みちむら

デジタル大辞泉の解説

なかのいん‐みちむら〔なかのヰン‐〕【中院通村】

[1588~1653]江戸初期の廷臣・歌人。通勝の子。号、後十輪院。後水尾天皇の譲位事件に関与して江戸に幽閉された。歌集「後十輪院集」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中院通村 なかのいん-みちむら

1587/88-1653 江戸時代前期の公卿(くぎょう),歌人。
天正(てんしょう)15/16年1月26日生まれ。中院通勝(みちかつ)の子。武家伝奏,権(ごんの)大納言。後水尾(ごみずのお)天皇の譲位をめぐって幕府の怒りをかい,武家伝奏を免じられ江戸に幽閉された。のちゆるされて内大臣となる。正二位。和歌,書道にひいでた。承応(じょうおう)2年2月29日死去。66/67歳。初名は通貫。号は後十輪院。家集に「後十輪院集」,日記に「通村公記」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

中院通村

没年:承応2.2.29(1653.3.28)
生年:天正16.1.26(1588.2.22)
江戸前期の公家。権中納言中院通勝の子。母は一色左京大夫義次の娘。慶長18(1613)年右中将,19年参議,元和3(1617)年権中納言,同9年には武家伝奏となり,寛永6(1629)年権大納言に昇る。後水尾天皇の信任厚く朝廷と幕府間の斡旋に努めたが,同年11月,天皇が突如興子内親王に譲位したため幕府から事前に報告しなかったとの理由で翌年9月武家伝奏を罷免され,さらに12年3月には江戸へ召され10月まで上野寛永寺に幽閉される。僧天海の周旋により許され帰京。正保4(1647)年内大臣となる。通村は世尊寺流の書をよくし,また近世前期の後水尾院歌壇において指導的立場にあった。元和1年7月18日の女院御所における源氏物語講釈をはじめとして,同月20日からは徳川家康に,2年4月25日から5月9日にかけて後水尾天皇にも講釈するなど,父通勝の築いた源氏学の後継者としてその力量をいかんなく発揮し,後水尾院側近の内々衆公家として絶大な信頼を得た。京都廬山寺に葬られる。『中院通村日記』がある。<参考文献>本田慧子「後水尾天皇の禁中御学問講」(『書陵部紀要』29号),母利美和「禁裏小番内々衆の再編」(『日本史研究』277号)

(母利美和)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

なかのいんみちむら【中院通村】

1588‐1653(天正16‐承応2)
江戸初期の公卿,歌人。権中納言通勝の子。母は細川幽斎の女。1600年(慶長5)叙爵,累進して17年(元和3)正三位権中納言。23年武家伝奏,翌年(寛永1)中宮権大夫を兼ね,29年権大納言に進む。後水尾天皇の信任あつく,かえって幕府の忌諱(きい)にふれて30年伝奏を免じられ,江戸に幽囚された。35年天海の努力により許され帰京。47年(正保4)内大臣となる。世尊寺流の能書家。歌集に《後十輪院殿御詠》,日記に《中院通村日記》(1613‐38)がある。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

なかのいんみちむら【中院通村】

1588~1653) 江戸初期の公家くげ。通勝の子。号は後十輪院。歌人として名高く、また書をよくし世尊寺流の流れをくむ通村流を創始。著「後十輪院集」「中院通村日記」

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

367日誕生日大事典の解説

中院通村 (なかのいんみちむら)

生年月日:1588年1月26日
江戸時代前期の公家
1653年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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