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鈴木正三 すずきしょうさん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鈴木正三
すずきしょうさん

[生]天正7(1579).1.10. 三河
[没]明暦1(1655).6.25. 江戸
江戸時代前期の臨済宗の僧。仮名草子作者。通称九太夫。名は重三。号は玄々軒,石平道人。三河武士として徳川家康,秀忠に仕え関ヶ原,大坂の陣に参加したが,元和6 (1620) 年出家して越前大安寺の大愚宗築,京都妙心寺の愚堂東寔 (とうしょく) ,江戸起雲寺の万安に師事。諸国を遍歴修行し,三河の石平山恩真寺に住んだ。寛永 14 (37) 年,島原の乱に志願して従軍した。のち江戸牛込天徳寺境内の了心庵に移り,庶民に仁王坐禅を説いた。著書に『万民徳用』『驢鞍橋』のほか,キリシタン排撃の書『破吉利支丹』『でうす物語』,また『因果物語』『二人比丘尼』『念仏草紙』などがある。

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デジタル大辞泉の解説

すずき‐しょうさん〔‐シヤウサン〕【鈴木正三】

[1579~1655]江戸初期の禅僧・仮名草子作者。三河の人。名は重三(しげみつ)。徳川家康秀忠に仕えたが、のち出家。曹洞(そうとう)禅を修め、独自の仁王禅を唱えた。諸国を遍歴し、教化のために著述。仏教書「盲安杖(もうあんじょう)」「万民徳用」「破吉利支丹(はキリシタン)」、仮名草子「因果物語」「二人比丘尼(ににんびくに)」など。

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百科事典マイペディアの解説

鈴木正三【すずきしょうさん】

江戸初期の仮名草子作者。本名重三(しげみつ)。出家して正三,石平道人と号する。三河の人。代々徳川氏の家臣で,家康・秀忠に仕え,関ヶ原の戦大坂の陣に勲功があった。
→関連項目仮名草子法語

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鈴木正三 すずき-しょうさん

1579-1655 江戸時代前期の僧。
天正(てんしょう)7年生まれ。鈴木重成(しげなり)の兄。徳川家康・秀忠につかえたが,42歳で出家。島原の乱後天草にいき,「破吉利支丹(はキリシタン)」をあらわす。のち江戸にでて仏教による民衆教化につとめた。明暦元年6月25日死去。77歳。三河(愛知県)出身。俗名は正三(しょうぞう)。通称は九太夫。号は石平道人。仮名草子に「二人比丘尼(ににんびくに)」,語録に「驢鞍橋(ろあんきょう)」。
【格言など】何(いずれ)の事業(ことわざ)も皆仏行なり。人々(にんにん)の所作の上において,成仏したまうべし(「万民徳用」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

鈴木正三

没年:明暦1.6.25(1655.7.28)
生年:天正7(1579)
江戸時代の仮名草子作者。本名は鈴木正三。九太夫と称し,石平道人などと号する。三河国(愛知県)東加茂郡足助郷の徳川家の家臣鈴木重次の長子として生まれる。慶長5(1600)年の関ケ原の戦,同19年の大坂冬の陣,元和1(1615)年の大坂夏の陣に出陣するが,同6年に江戸にて出家。寛永15(1638)年に平定された島原・天草の乱に弟重成が出陣し,同18年には天草の初代代官に任じられると,正三も翌年に天草へ渡る。3年間の天草滞在で,仏教への帰依を説き,諸寺を建立,『破吉利支丹』を著した。正三の仏法は「仁王禅」といわれる特異なものであったが,著作には「7部の書」とされる『二人比丘尼』『念仏草紙』などがある。そのひとつ『因果物語』は没後に出版されたが,先に出された「平仮名本」と,それを不当とした弟子達による「片仮名本」の2種類がある。仏書として書かれた「片仮名本」の側からすれば,多くの話を重複しつつも正三の原本を改変し,挿絵を加えて読み物化した「平仮名本」は許せなかったのである。

(樫澤葉子)

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世界大百科事典 第2版の解説

すずきしょうざん【鈴木正三】

1579‐1655(天正7‐明暦1)
江戸初期の禅僧。本姓穂積氏,俗名は鈴木九大夫重三。出家して正三,石平道人と号し,仮名草子(かなぞうし)作者として鈴木正三を名のる。徳川氏麾下の小土豪として三河国足助(あすけ)庄に生まれ,徳川氏の移封とともに上総に転じた。このころから出離の志をもち,おりから宇都宮で修行中の妙心寺僧大愚宗築,愚堂東寔らと交流した。関ヶ原の戦,大坂の陣に参加後,旗本として江戸駿河台に住した。1616年(元和2)大愚が江戸に南泉寺を開いて住するとこれに参じ,19年武士を捨てて出家した。

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大辞林 第三版の解説

すずきしょうさん【鈴木正三】

1579~1655) 江戸前期の禅僧。号、石平道人など。三河松平家の家臣として武勲があったが、仏道にはいり勇猛で武士的な仁王禅を説いた。仏教布教を目的とした著作が多く、一部は仮名草子として評価される。著「驢鞍橋ろあんきよう」「盲安杖」「二人比丘尼」「破吉利支丹」など。

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世界大百科事典内の鈴木正三の言及

【二人比丘尼】より

…仮名草子。鈴木正三(しようざん)著。2巻。…

【排耶書】より

…排耶書は37年(寛永14)に起こった島原の乱を契機にして民衆教化のために利用され,幕府の鎖国政策を擁護して民衆の間に反キリシタン思想を鼓吹した。鈴木正三は天草地方の民衆教化のため《破吉利支丹》を著し,豊後臼杵の僧雪窻宗崔(せつそうそうさい)は《対治邪執論(たいじじやしゆうろん)》を書いて特異な排耶論を展開したが,しだいに一般大衆を対象とした読み物風の通俗的な排耶物語《吉利支丹物語》《吉利支丹退治物語》《南蛮寺物語》《南蛮寺興廃記》などが流布するに至った。【五野井 隆史】。…

※「鈴木正三」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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