インド原産のクワ科の常緑樹。別名ベンガルボダイジュ,バンヤンジュ。樹高は30mに達し,樹幹は太く生長力が強い。横に伸びた枝から多くの気根を出し,これが地上に達すると幹のようになるため,1本の木が林のように見える。大きなものは樹冠部の直径130mにも達する。イチジク属の特徴で,白い乳状の樹液を出し,径1.5cmほどの果囊(かのう)は無柄で2個ずつつき赤熟する。葉は卵形あるいは卵円形で革質,長さは10~25cm,基には柄がある。変種には葉が付根のところで上方に反り,ロート状を呈するものがあり,これはクリシュナがカップに使ったためと伝えられている。
サンスクリット名は〈ニヤグローダnyagrodha〉といい,〈尼拘律樹(にくりつじゆ)〉と音写されるが,これは〈下に向かい生長する〉を意味し,気根の特徴をとらえている。また広大にひろがる姿は〈あまねくいっさいを覆う〉菩薩の菩提心のたとえに用いられ,一方では〈形も定まらず,始まりも終りもない〉輪廻の象徴ともされる。さらに,目に見えない微細な本質から現象としての大樹が生ずることを教えるため,バニヤンの実を割り,さらに種子を割らせ,そこに何もなくなることを示したという《チャーンドーギャ・ウパニシャッド》の記事は,イチジク属の種子が極小な事実によっている。この小さな種子から大きな木が生ずる比喩を仏典は〈小因も大果を生ずる〉たとえに用いている。
この樹の樹液は粗悪ながらゴムの原料となるが,一般には治癒効果を有するとされ,《アタルバ・ベーダ》(前1000ころ)の頃から呪薬として用いられており,この実を用いた呪術は仏典にも見られる。樹液の特殊な効果はバラモン教の祭式にも現れ,神聖なソーマの代用にバニヤンの気根と実,優曇華(うどんげ),菩提樹などの実を合わせてすりつぶしたものを用いる例がある。これらの樹はすべてイチジク属に属し,インドでは聖樹とされている。釈迦は悟りをひらいた後,バニヤンの樹の下で瞑想を楽しんだとも伝えられている。またジャータカをはじめ種々の物語には,子どもを授けたり,旅の安全を守る樹霊や鬼神(夜叉(やしや))がこの樹に宿り,動物犠牲をささげられていたことが語られる。願ったものをすべて与える〈如意樹〉としても現れ,バニヤンの樹の洞に入ると中には黄金の町があったという話もある。こうした観念はヤクシャの王である富の神クベーラの信仰とも結びつき,金貨を無限に生み出すクベーラの如意樹もバニヤンをモデルとしている。
執筆者:高橋 明
イギリスの説教者,寓意物語作者。ベドフォードシャーの片田舎に生まれ,読み書き以外にほとんど教育も受けず,家業につき鋳掛屋となった。1644年ピューリタン革命において議会軍に従ったが,まもなく除隊し結婚する。妻の持参した宗教書を読んで感動し,遊びを絶って非国教徒の教会に入る。みずから説教を行い説教者として名をなした。しかし王政復古(1660)とともに,法を犯して説教したというかどで捕らえられ,61年から短期間の釈放の時期を含めて12年にわたって監禁された。彼には説教の著作がすでにあったが,この監禁中自分の信仰の軌跡を述べた霊的自伝である《あふるる恩寵》(1666)を書いて出版した。チャールズ2世の信仰自由宣言(1672)によって釈放され,再び説教活動を盛んに行ったが,75年再び投獄された。今度は6ヵ月で自由になったが,その投獄中に書かれたのが代表作《天路歴程》第1部(1678)である。その後一方では説教者として活躍しつつ,《悪太郎氏の生涯と死》(1680),《神聖な戦争》(1682)などの作品を生み出した。前者は対話形式によって,悪太郎氏の罪に堕ちていく一生を描いた寓意物語であり,後者は人間の魂を都市にたとえ,都市をめぐる攻防を通して善が悪を克服する過程を描いた寓話である。続いて84年《天路歴程》第2部を出版。彼の寓話はすべて熱烈な宗教心を簡潔な文体によって具象化し,深い感銘を与えた。
執筆者:榎本 太
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イギリスの宗教作家、伝道者。ベッドフォード州の小村エルストウの鋳掛屋の息子に生まれる。小学教育のみで父の仕事につく。17歳で政府軍に徴集され、ピューリタンの内戦に従軍し2年後除隊、家業に戻る。服務中に急進的プロテスタント諸派の人々と接し、伝統的体制教会を否定し、個人に顕現する神の恩寵(おんちょう)に頼ろうと決意する。従軍中の体験はのちに『聖戦』(1682)にまとめられ広く読まれる。1653年ベッドフォードの非国教会派に入り、説教活動を行いクェーカー教徒と対立した。彼の読書体験は主として聖書で、それにジョン・フォックスJohn Foxe(1516―1587)の『殉教者伝』、それにアーサー・デントArthur Dent(?―1607)の『庶民の天国への道』などわずかなものに限られたが、宗教的熱情はきわめて激しく、精神的苦悩から一時は教会の鐘を人間に快楽を与える悪魔のしわざとして嫌悪するほどであったが、バプティストとなってようやく心の平安を得た。この間の魂の遍歴については自伝『あふるる恩寵』(1666)に詳しい。これは、無免許で説教を行ったかどで捕まり、1660年から12年間の投獄生活の間に執筆された著作の一つ。その後チャールズ2世の信仰自由令により釈放、ふたたびベッドフォードの教会牧師となるが、重なる国法の変革で1675年再投獄、6か月後に釈放される。この間に『天路歴程』の前編が書かれた。これに後編が加わって、1684年全編出版の運びになる。聖書に通じる簡素・高雅な文体で、苦難や誘惑に屈せず天の都に達する主人公クリスチャンの行動が人々の感動をよび、ロングセラーとなった。ほかに評価される著作として『悪太郎の一生』(1680)がある。該博な聖書の知識、豊かな想像力、的確な表現力は抜群で、ミルトンの壮麗さは欠くが屈指のピューリタン作家の一人として、その後の英国散文に与えた影響は大きい。
[船戸英夫 2018年1月19日]
『高村新一訳『バニヤン著作集』全5冊(1969・山本書店)』
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1628~88
イングランドのピューリタンの説教師,著述家。貧しい鋳掛屋(いかけや)に生まれ,ピューリタン革命に兵士として参加。妻の影響でピューリタンの信仰に入り,説教師となる。王政復古後迫害を受けたが,『天路歴程』(てんろれきれい)で不朽の名を残した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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… ピューリタンの思想家としては,エリザベス時代のカートライトThomas CartwrightやトラバースWalter Travers,ジェームズ時代のパーキンズWilliam ParkinsやエームズWilliam Ames,共和政時代のR.バクスターやオーエンJohn Owen,とりわけ詩人にして思想家J.ミルトンがあげられる。J.バニヤンは王政復古後のピューリタンの生き方を代表する。 ピューリタンの思想は広くはカルビニズムの流れに属するが,〈契約神学〉と呼ばれる独自なもので,神人関係も社会関係(家庭や国家)も契約で考え,聖書にのっとって地上に理想社会(〈神の国〉〈キリストの王国〉〈新しいエルサレム〉などと呼ばれる)を実現し,神に対し責任をもつ生活をすることを目標とした。…
…そののちベドフォードシャーの創設に際しては州都となり,ヘンリー2世(在位1154‐89)時代に自治都市となった。南郊のエルストー村で生まれた《天路歴程》(1678)の著者J.バニヤンは,この地で説教を行い,投獄された。18世紀の監獄改革者J.ハワードの旧跡や,1552年創立のパブリック・スクールであるベドフォード・スクールがある。…
…湿潤大陸性気候で,根雪が数ヵ月も続く。州北東部を中心に林業が盛んであり,伝説的巨人ポール・バニヤンが活躍した舞台である。平たんな草原地も多く,小麦栽培が大規模に行われたので,ミネアポリスは製材,製粉の中心地として発達した。…
※「バニヤン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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