デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴藤勇次郎」の解説 鈴藤勇次郎 すずふじ-ゆうじろう 1826-1868 幕末の武士。文政9年生まれ。江川太郎左衛門英竜(ひでたつ)に師事して砲術をおさめ,幕臣となる。長崎でオランダ人に航海術をまなび,安政7年咸臨(かんりん)丸運用方として渡米。画をよくし「咸臨丸難航図」がある。病気のため榎本武揚の旧幕府艦隊に参加できず,慶応4年8月24日自殺。43歳。上野(こうずけ)(群馬県)出身。本姓は鈴木。名は致孝(むねたか)。字(あざな)は子享。号は萃庵。著作に「航亜日記」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「鈴藤勇次郎」の解説 鈴藤勇次郎 没年:明治1.8(1868) 生年:文政9(1826) 幕末の幕臣。長崎海軍伝習所に学び,万延1(1860)年咸臨丸に乗り組み,太平洋を横断。「咸臨丸難航図」を木村芥舟に贈る。幕府倒壊ののち,榎本武揚の旧幕府軍に参加しようとして病のため果たせず自刃。 (井上勲) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by