銭屋遺跡(読み)ぜにやいせき

日本歴史地名大系 「銭屋遺跡」の解説

銭屋遺跡
ぜにやいせき

[現在地名]美東町絵堂 銭屋

長州藩(萩藩)銭座跡。秋吉あきよし台の東縁部、厚東ことう川支流の銭屋川に沿った狭い谷合の平地に立地する。周辺には長登ながのぼり銅山跡や赤小野あかおの鉱山跡など、銅や鉛を主体とした鉱山が古くから点在し、県内有数の鉱山地帯として知られる。

江戸幕府は寛永一三年(一六三六)江戸と近江に銭座を設けて、寛永通宝の鋳造を始めたが、翌一四年新銭の流通不足を補うため八藩に鋳銭を命じた。萩藩もその一つで、ここに銭座を設け三年余り寛永通宝を鋳造した。銭座の位置については、美祢みね郡内に関連する字名(銭屋・魚町・女郎町・呉服町)が今日まで継承・伝承され、かつ鉱滓堆積坩堝採集など多くの資料が残されていて、およその推定は可能であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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