鍋子山(読み)なべこやま

日本歴史地名大系 「鍋子山」の解説

鍋子山
なべこやま

江戸時代の曾我そが村の北東部にあり、同村と多井田おいだ村の入会山であった。貞享四年(一六八七)鍋子山へ旗本浅野領の垂水たるみなか貝原かいはら窪田くぼた鳥居とりい田中たなか家原ええばら各村(現社町)百姓が押入り柴薪を採り、これを阻止しようとした曾我村の百姓に傷を負わせた。紛争は曾我・多井田両村に味方した近隣の牧野まきの吉馬よしま両村(現社町)と相手に味方した北野きたの村、きた村・梶原かじわら(現社町)を巻込み、鍋子山に続く中尾なかお山・蜷子になご野をめぐる争論に発展した。そのため赤穂藩旗本領の役人立会で一年余も審議を重ね、元禄元年(一六八八)裁決を下し、双方の境界が決定された(「裁許状」曾我区有文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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