曾我村(読み)そがむら

日本歴史地名大系 「曾我村」の解説

曾我村
そがむら

[現在地名]橿原市曾我町

高取川と曾我川との合流点近くにある初瀬はせ街道(横大路)の街村。北は中曾司なかぞし村・土橋つちはし村。「大和志」に「旧名曾我大路堂」とあり、「多聞院日記」弘治元年(一五五五)一二月一二日条に「大路堂富貴之処、悉以近郷之悪儻乱入、資財奪取同放火、時剋到来歟、物取五十余人切殺云、曾我高田方ヨリ諸方悪儻ヲカタラヰ如此」とみえる。談山だんざん神社蔵の室町期の古図によると、横大路よこおおじの北に沿って「大路堂里」があり、永仁二年(一二九四)の大仏灯油料田記録に「大路堂市」と記す。


曾我村
そがむら

[現在地名]滝野町曾我

多井田おいだ村の北、加古川中流左岸にある。北は高松山たかまつやま(現西脇市)、東は吉馬よしま(現社町)。慶長国絵図に村名がみえる。正保二年(一六四五)から元禄一四年(一七〇一)まで赤穂藩領(寛政重修諸家譜・寛文朱印留)幕府領を経て元禄一六年から幕末まで旗本八木領(「寛政重修諸家譜」、旧高旧領取調帳など)。慶長六年(一六〇一)検地帳(元文四年写、曾我区有文書)では高六八石余・反別五町八反余。


曾我村
そがむら

[現在地名]立山町曾我

常願寺川中流右岸、石田いしだ村の北四町に位置(三州測量図籍)。鎌倉時代の武士曾我兄弟の姓をとって村名としたという(五百石地方郷土史要)正保郷帳では高一五六石余、田方九町六反余・畑方八反余、新田高六五石余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印によると草高一〇五石、免四ツ、小物成は鮎川役一匁(出来)・鮭役一匁(出来)であった(三箇国高物成帳)


曾我村
そがむら

[現在地名]多賀町木曾きそ

久徳きゆうとく村の北西にある。慶長高辻帳に「そか村」とあり、高一二二石余、うち小物成四石。元禄八年大洞弁天寄進帳によれば男一一・女一二、寺社方男二。「木間攫」は曾我十郎五郎の墓があるというが信じがたいと記し、佐々木六角氏の旗頭八町はつちよう(現豊郷町)城主赤田信濃守はもと当地に住んでいたとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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