日本歴史地名大系 「鍋掛宿」の解説 鍋掛宿なべかけしゆく 栃木県:黒磯市鍋掛村鍋掛宿[現在地名]黒磯市鍋掛宇都宮から六番目の奥州街道の宿場。北は那珂川を隔て越堀(こえぼり)宿で八町四八間、南は大田原宿で三里一町五七間。開宿は奥州街道が公道となった慶長九年(一六〇四)頃か。慶長五年徳川家康の上杉攻めの際、先陣水谷勝俊が鍋掛に陣したとされ、翌六年の「前田慶次道中日記」に「大たはら米はあれとも其ままに煮てやかまましなへかけのまち」とうたわれており、すでに奥州へ通じる道に町場を形成していたことがうかがえる。宿村大概帳によれば、宿内の町並は東西五町余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by