鎌数村(読み)かまかずむら

日本歴史地名大系 「鎌数村」の解説

鎌数村
かまかずむら

[現在地名]旭市鎌数

川口かわぐち村の北東太田おおた村の北西に位置し、中央をしん川が南流、東部ふくろ溜池がある。寛文一一年(一六七一)椿つばき海干拓で最初に湖底が現れた地で、初め太田村下と称され、元禄八年(一六九五)検地で鎌数村と名付けられる。同一三年頃の下総国各村級分では高一千三八五石余で幕府領。享保一八年(一七三三)新田二九石余が高入れ、寛延二年(一七四九)六一八石余が加えられて高二千三三石余となり(旭市史)、以後幕末まで変わらない。明和四年(一七六七)四七四石余が上野安中藩領、文化一四年(一八一七)幕府領のうち三五二石余が旗本古川領となり、幕末に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

政府首脳が外国を訪問した際の会談内容や合意事項を記した外交文書。法的拘束力は持たないが,その内容は両国を事実上拘束する。類似のものに共同発表 joint statementがあるが,これはより記録的な...

共同声明の用語解説を読む