朝日日本歴史人物事典 「鎌田魚妙」の解説
鎌田魚妙
生年:生年不詳
江戸中期の刀剣の研究家。名は源吾,晩年三郎太夫。伊予(愛媛県)喜多郡櫛生村の三島神社の神官鎌田正謹の次男。延享(1744~48)ごろ京都に上り,西洞院時名に仕え,のち川越の松平家に召し抱えられた。安永6(1777)年,新刀鍛冶について『慶長以来新刀弁疑』,寛政8(1796)年には古刀についての研究書『本朝鍛冶考』を著す。日本刀は慶長(1596~1615)を境に,それ以前の作を古刀,以後を新刀と称しているが,その典拠となったのが『新刀弁疑』である。古刀重視の中で,はじめて新刀鍛冶の位列を付け,また出自,作品の特徴などに言及した画期的な著述であり,新刀研究の基礎書となった。<参考文献>福永酔剣「鎌田魚妙の伝」(『刀剣美術』59号)
(原田一敏)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報